自己解放論

坂口恭平氏のかつてのツイート、”森山大道先生は今も毎日1500枚シャッターを切っている。僕の質より量の考える元になった先生です。
と言うツイートを見て、色々な思いを巡らせた。日々の積み重ねは本当に大事だと思う。だから朝茶習慣を始めた。何事も初めから質を求めてはよくないと思う。そんなことするといつまでも始められない。始める前にどんどんいろいろな重み、柵で余計動けなくなってしまう。いきなりパーフェクトな状況で始められる人間なんて誰もいない。軌道修正しながらしっかりとより良き形に徐々に形作っていくものだ。だから今自分ができる事は今の自分にできることをコツコツとやっていくことだけ。そしてそれを世の中にちゃんと発信すること。何度も言っているがこれしかない。中途半端でもいいんだ。質はさほど問わない。小さな事、些細なことでもいいんだ。世の中に向けてちゃんと発信する。発信し続ける。何ができるとかどうでもいいんだ。誰が見てるとか関係ないんだ。自分はただ自分のために走り続ければいいんだ。大きく間違ってなければ多少間違っててもいいんだ。ただ思うままに感じるままに発信し続ければいいんだ。人はそれぞれ違う。個性がある。それをただ純粋に解放するだけでいいんだ。自分の思うことを思うままに出し続ければいいんだ。かっこつけるのなんてある程度影響力を持つようになってからで良い。何も影響力を持っていない状況からかっこつけようとするな。
森山大道先生は写真界の巨匠である。そんな方でさえ毎日1500枚も取ってるとはホントにすごいなと思う。これぐらいのレベルの方になってくるとビジネスと割り切って写真を撮っているならば毎日撮る必要など全くない。もうこれ以上技術を研鑽する必要などないのかもしれない。その習慣を続けられるのは心底写真のことが好きなんだろう。そして日々の景色を自分の目のフィルターでもって捉えた光景をカメラという文明の利器でもって形取ることが身に染み付いてしまっているんだろう。心底写真のことが好きなんだろうとさっき言ったけど、もうそんなレベルじゃないと思うな。そんなものはとっくに超越してもう離れられなくなってしまっているのかもしれないな。シャッターを切ることがゾクゾクして快感なのかもしれない。自分の友人にもそんな奴がいた。巨匠がそうである可能性もゼロではない。
ほんまにまた思うことをつらつらと書いていたらまたとりとめのない感じになった。この姿勢をとりあえず真似てみるのが良い。簡単ではないが。今の自分ならとりあえず狂ったようにお茶を飲めとか毎日頭の中で考えていることを脳内の隅々から引っ張り出してペンで書き留める。毎日一万字書くとかそんぐらいせなな。今から世の中に名を成すなんて何の業界でも無理やでほんま。自分がどうなりたいかどこまでいきたいかにもよるがな。そんなもんその時々によって変わるでええがな。

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