見出し画像

安重根の獄中口述記録「聴取書」現代日本語版

( )内は勝村が補った語句、[ ]内は原文で用いられた語句です。
底本は國家報勲處編『亜洲第一義侠 安重根3』1995年,621~633ページ.

勝村誠「[史料紹介]安重根の獄中口述記録『聴取書』を中心に」『コリア研究』(立命館大学コリア研究センター)11号, 2021年3月, pp.47-52.
https://ritsumei.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=14667&item_no=1&page_id=13&block_id=21

       聴取書

                      殺人犯被告人 安重根

(上記)被告の安重根は(栗原貞吉)典獄を通して、地方法院の判決に対して控訴を申し立てるかどうか決断するために、高等法院長に上申したいことがあるとの旨を申し越したので、高等法院長は通訳嘱託の園木末喜の通訳によって被告を引見した。そこで被告は以下のように陳述をした。

一、私に対する殺人被告事件について、地方法院の判決に対して不服の点があり、まずこれから陳述いたします。

一、私はもともと[元来]伊藤公には面会したこともないのです。それなのにこのたび私が伊藤公を殺害するに至ったのは国家のためにしたことであって、決して一個人としての資格で行ったのではありません。ですから、本件は普通の殺人犯として審理されるべきものではありません。したがって、この裁判は当を得ないものとして不服です。

一、日韓五個条および七個条の協約は、韓国皇帝をはじめ、韓国人民のすべてが快く締結したものではありません。日本が兵力の威圧によって強制的に[強ひて]締結したものです。そのため、私たちは義兵を起こしてこれに反対し、また伊藤公を殺すに至ったのです。もし今回の裁判に[私が]自ら服するならば、上記の協約にも同意したと同様なことになりますから、この点からも不服です。

一、私が韓国のために義兵中将として働いたことは、日本人も認めていることで、日本の軍隊や警察官も安応七という人物が咸鏡北道の朝露国境などの地域において韓国のために働いたことは確認していることです。今回の行為も、その資格においてしたのですから、捕虜としての取り扱いを受けるべきです。したがって、国際公法を適用すべきものであるのに、普通裁判所であるこの地方法院において審理および判決をされたことは、はなはだ不当であり、日韓協約にさえも反するものです。たとえ私が今回の判決に甘んじるとしても、世界は日本を野蛮国とみなして嘲笑することになります。以上の理由からしても、今回の判決に不服です。

一、伊藤公が統監として韓国に着任されたときには、韓国のために計るのだと声明されましたが、それは単なる弁明に類するようなものに過ぎず、その真意はまったく義に反しているのです。その一例として、日韓協約を結んだ李完用らのような人たちは韓国人のすべてが犬にも劣ると見ているので言うまでもないのですが、伊藤公のことも仇敵と見ているのです。伊藤公が生きていれば東洋の平和を害するだけです。東洋の一分子である私にとっては、このような悪漢を排除するのは私の義務であると信じて殺害したのです。ですから、私を一般普通の殺人犯として処分することにしたのは重大な[非常な]誤りです。なお、甚だしいことには、私のことを評して兇漢と呼ぶ人がいると知って、実に憤慨に耐えませんので、この点からも不服です。

一、伊藤公は私腹を肥やすために(統監統治を)していたのです。日本の天皇陛下の御威徳もつつみ隠して[蔽ひ]その御威徳[之]を害する悪人です。公判廷において検察官は、伊藤公がいま統監の職についていないことを理由に、伊藤公を殺すのは私怨であると論じられましたが、それは誤っているのです。伊藤公は統監を辞した後もなお、様々な干渉をして合邦問題にまで手を尽くしたことがあるぐらいです。私は決して私怨によって一私人として伊藤公を殺したのではありません。

一、伊藤公は韓国の上下が悦服円満であると世界に宣伝していますが、それは事実に反しています。耳目となる人は必ずその実際を知っています。一例を挙げれば、韓国の前皇帝は従順でいらっしゃらなかったので、伊藤公は随意に皇帝の意思を左右することができず、都合が悪いということから、前皇帝を廃して、前皇帝より劣る現皇帝を置いたのです。韓国の人民は開国以来、決して他国を侵略しようとしたことはなく、「武の国ならぬ文の国」の善意の人民です。それなのに伊藤公は韓国を侵略し、自分の意のままにするために才能のある人はすべて殺害するのです。このような人が生存していれば、すなわち東洋の平和を害するのですから、おのずから東洋平和のために伊藤公を世界から除去するに至ったので、一私人の資格ではありません。

一、すでに何回か申し上げてはいますが、日露戦争の当時に日本皇帝は宣戦詔勅に韓国の独立を鞏固ならしめるとされ 、また日露協約にも同様の文章があります。それなのに伊藤公は韓国の軍部を廃し、司法権を日本に引き渡し、行政権をもまた引き渡そうとしたのです。そうなると韓国の独立云々という事に反しているので、韓国皇室の尊厳を保つといっても、それはほとんど名のみです。日露戦争においては、日本の青年数万人の生命を失い、日韓協約の成立においても多数の人命を失いました。これらはみな伊藤公の政策が□□を得ないことから生じたものです。このような悪漢を除去したのに、なぜに過大な処罰を受けなければならないのでしょうか。あたかも「大盗を許して赦して小盗を罰する」と一般に言うような不当なことであると思います。世人は伊藤公を二十世紀の英雄とか、偉大な人物として賞賛していますが、私から見れば極めて小人物の奸悪な姿だと思います。日清戦争、日露戦争、日韓関係(の悪化)などはいずれも伊藤公の政策が当を得なかったためで、 弾丸の飛来が一日たりとも休む暇がありません。諺に「天に順うものは報ず、天に逆うものは亡ぶ」とあります。日露宣戦の詔勅に韓国の独立を鞏固ならしむとあり、これは、天の意を受けたもので、また、日本皇帝の聖意であると思います。戦争の当時は何人も日本の勝利を思った者はいませんでした。それなのに勝利を得たということは、すなわち、「天に順って報ず」の諺に因ったのです。伊藤公は日本皇帝の聖意に反する政策を執ったために、今日のように日本は韓国を窮地に陥れたのです。「強に過ぎたるは折れる」という諺があります。伊藤公の行為は奸悪に過ぎるのです。それで、人心をつかみ取ることができないだけでなく、かえって反抗心を成立させるだけでなにも得るところがありません。

一、伊藤公の政策がやむを得ずなされたものであることは私もわかっています。日本は現在、非常に財政が困難な状況ありますから、その欠損を補うために、清と韓国の両国に対してこのような政策を用いているのだということは承知しています。しかし、それは間違っており、あたかも「自らの肉を断って一時の餓えを凌いでいる」ようなものです。その後にいっそう大きな苦痛が来ることを知らないのであって、心ある人々なら誰でも伊藤公のような政策を笑わない人はいません。日本の東洋における地位は人間の体に例えると、あたかも頭部のようなものです。ですから、身体に対する配慮を怠ってはなりません。それなのに、伊藤公の政策は陋劣です。韓国の人民はもちろん、ロシア、清、アメリカの各国は日本を膺懲する機会をうかがっているのです。日本は今すぐ態度を改めないと、各国に対して東洋の平和を攪乱した責任を負わなければならなくなるでしょう。日本は東洋の平和についてはいずれにしても責任を負うのです。「過ちては改むるに憚ることなかれ」という金言があります。私がもし一人の責任ある日本国民であるならば、政策についても対案意見を持っています。しかし、今これを陳述すると他に差し支えを及ぼすかとも思いますので、陳述しません 。以上は、東洋平和における大勢から申し上げたのでして、それはまた、私のこのたびの行為が罪とならない理由であります。

高等法院長が被告が抱いている政策とはどのようなものかを問うと 、被告は以下のように答えた 。

一、自分が抱いている政策意見を陳べても差し支えないとのことならば申し上げます。私の意見は、もしかしたら愚見として笑われるようなものかもしれませんが、これは最近になって考えたものではなく、ここ数年来ずっと考えてきた意見です。自分がこれから申し上げる政策を実行すれば、日本は泰山の如くになり、各国から非常なる名誉を得るようになります。
覇権 を掌握しようとすると、非常の手段を施さなければならないと言いますが、日本がこれまでとって来た政策は、二十世紀の政策としては甚だ飽き足らないものです。つまり、これまで外国がやってきた手法を真似ているだけで、弱国を倒して併呑するという手法です。こんなことをしていても覇権を握ることはできません。まだ列強国がやっていない行為をしなければなりません。
いまや日本は一等国として列強国に並ぶ勢いで進んでいますが、日本の性質は言わば「速成速決」で立っているのであり、これは日本の欠点で、日本の為めには残念なところです。

一、日本がいますぐになすべきことは財政整理です。財政は人に例えれば元気の源です。つまり、財政を健全にして国の健康状態を強くしておくということです。第二に、列強国からの信用を受けることが重要です。いま、日本は信用を受けていません。第三に、すでに申し上げた通り、日本はいま各国から、その隙を覗かれていますから、それに対する方法を考えなければなりません。この三大急務を解決する方法は、私の考えでは、簡単なことだと思います。戦争もなにも必要ありません。それは、唯ひとつ、心を改めることにあるのです。伊藤公がやってきた政策を改めるのです。伊藤公の政策は全世界の信用を失ってしまいました。
日韓協約を見れば明らかなように、韓国人が心服するどころか、反抗心を高めさせるに至った過ちであり、(日本にとっても)なにも得るところがありません。
日韓清は兄弟の国です。ごく親密に過ごしてきたのですが、それなのに今は、まるで兄弟の仲が悪くて、ある一人がほかの一人を助けないような状態で、世界に向かって不和であることを発表しているようなものです。日本がこれまでにとってきた政策を改めて、それを世界に発表するというのは、(日本にとっては)多少は恥ずかしい面もあるでしょうが、それは止むを得ないのです。
いますべき政策としては、旅順を開放して日本、清、韓国三国の(共同)軍港とし、この三国から有為の者を同地に会合させて、平和会というようなものを組織して、それを世界に公表することです。こうして日本に(領土的な)野心がないことを示すのです。旅順をいったん清国に還付して、そこを平和の根拠地とするのが最も賢明な策となると信じます。覇権を握ろうとするならば、通常ではない手段が必要であるというのは、つまりこのことを言うのです。旅順を還付することは日本にとっては苦痛であるかもしれませんが、結果としては、かえって利益を生むことになるので、世界の各国はその英断に驚歎し、日本を賞賛し、清国と韓国を加え、日清韓は永久に平和と幸福を得ることになるのです。
また、財産整理の観点から言えば、旅順に東洋平和会を組織して会員を募集し、会員から一人当り一円を会費として徴収するのです。日清韓の人民のなかから数億人がこの会に加入することは間違いありません。そして、銀行を設立して(共通の)通貨[兌換券]を発行すれば、必ず信用は得られるので、金融についてはおのずと円満に進みます。また、重要な場所に東洋平和会の支会を設けて、そこに銀行の支店を置くのです。そうすれば日本の金融は円満になり、財政は万全となるでしょう。旅順を警備するためには、日本の軍艦五、六隻を旅順港に繋留しておけばいいでしょう。そうすれば、日本は旅順を還付したとしても、実際には日本が領有するのとなにも違いません。

以上の方法によって東洋の平和は完全になりますが、列強国に対応するためには対策を講じなければなりません。そのためには、日本、清、韓国の三国から各国の代表を派遣して対応にあたらせます。また、三国から強壮な青年たちを集めて軍隊を編成するのです。そして、强壮な青年たちに二ヵ国語の言語を習わせて友邦であり兄弟の観念を高めるように指導します。
このような日本の偉大な態度を世界に示せば、世界はこれに感服して日本を崇拝し敬意を表するようになります。なぜならば、たとえ(他国が)日本に対して(領土的)野心を持っていたとしても、それを画策する機会を失うことになるからです。こうして日本は輸出も増加し、財政も豊かになって、泰山のような安定を得ることになるのです。
清と韓国の両国もともにその幸福を享受し、また(世界の)各国に対しては、その模範を示すことになります。こうして清と韓国の両国は、日本を星として仰ぐことになり、(商工業など産業発達の)覇権も日本に帰することになります。そうなると清と韓国が申し立てた影のようなものは夢にも現れなくなるでしょう 。そのようになれば、インド、タイ、ベトナムなどアジアの各国は進んで東洋平和会に加盟を申し込み、日本は争うことなく東洋を掌中に収めることになります。

一、かつて殷の国が滅びる頃、劣国は周という君子を担いで天下の覇権を握らせるに至りました。今日の世界の列強国がどんなに力を尽くしてもできないことがあります。ヨーロッパではナポレオンの時代まではローマ教皇から冠を受け取ってかぶることによって王位に就きました。しかし、ナポレオンがこの慣習を破壊したため、それ以後はこのような儀式を行うことができた者はいません。日本が、私がここまで述べたように、いよいよ覇権を掌握することになれば、日本、清、韓国の三国の皇帝はローマのカトリック教皇に面接して(平和の)誓いを立てて、冠をお受けになれば、世界はすぐさまそれに驚歎するでしょう。現在、カトリックは世界に存在する宗教徒の三分の二を占めています 。世界の三分の二を有する民衆から信用を受けることになれば、その勢力は非常に大きなものです。(逆に)もしこれら(の人びと)が反対すれば、どんなに日本が強国だとしてもどうにもなりません。

一、韓国は日本の掌中にあり、日本の方針によってどのようにでもなるのですから、私がここで申し上げた通りの政策を日本が執るならば、韓国もそれに従って、日本が遺した徳を得ることができます。

一、ひとつ、日本のせいで慨嘆に堪えられないことがあります。それは、日露戦争の当時は「日出露消」、つまり、日本が現れてロシアが消えるという言葉があったほど、日本は金銭のある限りを尽くした時代でした。それなのに、今では日本、清、韓国の人々は「日冷日異」、すなわち、「一日で冷え込み一日で変わってしまう」と称しています。これは日本が衰微の状態にあることを現しているのであり、日本は最大限の注意を払って政策を行わなければ、回復することのできない苦境に陥ります。この点については、日本当局の反省を求めます。

ここで高等法院長は、被告の申越しは以上の通りであるが、法院では一個人の殺人犯として取扱うところであると述べた。また、被告の申越しは預かり置くけれども、その申越しの意に添うような特別の手続を執ることはできないと懇切に説諭したが、被告はその意を了とした。

一、私は当初から自分の死をもって国家の為めに実行するという意思でしたから、いまさら死を恐れて控訴を申し立てるようなことはしません。ただ、私はいま獄中で東洋政策と私の自伝を認(したた)めておりますので、ぜひともこれを完成させたいと思います。また、洪錫九神父が私に会うために韓国から出立なさったとのことですので、その面会の機会を得るために、私が信じるカトリックにとって記念すべき日である三月二十五日 まで、刑の執行を猶予されることを歎願します。

上記の通り[右]録取した。

明治四十三年二月十七日
 於 關東都督府 高等法院
       書記   竹 内 静 衞

【解説】
安重根は1910年2月14日に死刑判決を言い渡され、その3日後の2月17日に旅順の関東都督府高等法院長の平石氏人と3時間にわたり面談した。安重根はその席で、平石に促され自分の抱いている東洋平和のための政策構想を語っている。その面談記録である「聴取書」は、日本の外交文書として簿冊「伊藤公爵満洲視察一件 別冊(伊藤公遭難ノ際 倉知政務局長 旅順ヘ出張 竝ニ犯人訊問ノ件)」(全11册)に綴られ日本外務省外交史料館に保管されていたが、1995年に韓国で国家報勲處によりこれらの簿冊のうち6册を収録した史料集『亜洲第一義侠 安重根』(全3巻)が発行されたことにより「東洋平和論」を補完する重要文書として研究が進められるようになった。
このテキストは国家報勲處編『亜洲第一義侠 安重根3』1995年発行(621~633ページ)を底本として勝村が翻刻し、現代日本語に書き改めたものである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?