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安重根関係日本語文献目録(更新中)

 この文献目録のベースは、康銀成「安重根義挙100年--日本における安重根研究の現況と課題」(『朝鮮大学校学報』9号・2010年)に掲載された「安重根研究日本語資料目録」を元に、勝村が加筆修正して『安重根と東洋平和論』(2016年・日本評論社)の巻末付録として掲載されたものであるが、その後、勝村が(気まぐれではあるが)随時アップデートしている。
 単行本については可能な限り網羅的に再録したが、論文・雑誌記事については、学術的・資料的価値が極端に低いもの(「嫌韓反中」的なものなど、ネトウヨ言説に類するもの)は、追いかけきれないので除外している。
 とりあえずリストアップしておくことを優先しているため、勝村が未見のものも多く含まれている。もちろん、後日、すべてチェックする予定であるが。間違いや思い違いも多々あろうと思われるので、お気付きの点があれば、ぜひ、ご教示いただきたい。


【単行本】(刊行順)
■満州日日新聞社[編](1910)『安重根事件公判速記録』満州日日新聞社.
■金正柱[編](1970)『朝鮮統治史料 第5巻 民族運動』韓国史料研究所.  *「安重根等殺人被告公判記録」収録
■金正明[編著](1972)『伊藤博文暗殺記録 安重根 その思想と行動(明治百年史叢書 169)』原書房.
■市川正明(1979)『安重根と日韓関係史(明治百年史叢書282)』原書房
■鹿野琢見(1982)『法のまにまに』海竜社. *エッセイ「安重根と千葉十七」収録
■金哲央(1984)『人物・近代朝鮮思想史』雄山閣. *「安重根」収録
■中野泰雄(1984)『安重根-日韓関係の原像』亜紀書房.
■姜徳相(1984)『朝鮮独立運動の群像-啓蒙運動から三・一運動へ』青木書店. *「安重根の思想と行動」収録
■谷譲次(1989)『安重根 十四の場面』五望書房.
■中野泰雄(1991)『安重根-日韓関係の原像(増補版)』亜紀書房.
■佐木隆三(1992)『伊藤博文と安重根』文藝春秋社.
■斉藤泰彦(1994)『わが心の安重根-千葉十七・合掌の生涯』五月書房.
■斉藤充功(1994)『伊藤博文を撃った男-革命義士安重根の原像』時事通信社.
■鹿島海馬(1995)『伊藤博文はなぜ殺されたか-暗殺者・安重根から日本人へ』三一新書.
■佐木隆三(1996)『伊藤博文と安重根』文春文庫.
■津留今朝寿(1996)『天主教徒 安重根-私の中の安重根・日本と韓国』自由国民社.
■中野泰雄(1996)『安重根と伊藤博文』恒文社.
■斎藤泰彦(1997)『わが心の安重根-千葉十七・合掌の生涯(増補新装版)』五月書房.
■韓碩青[著]・金容権[訳](1997)『安重根 第一部・生成篇』作品社.
■韓碩青[著]・金容権[訳](1997)『安重根 第二部・超人篇』作品社.
■斎藤充功(1999)『伊藤博文を撃った男-革命義士安重根の原像』中公文庫.
■上垣外憲一(2000)『暗殺・伊藤博文』ちくま新書
■徐京植(2001)『過ぎ去らない人々―難民の世紀の墓碑銘』影書房 *「安重根」の項目あり
■高大勝(2001)『伊藤博文と朝鮮』社会評論社
■大野芳(2003)『伊藤博文暗殺事件―闇に葬られた新犯人』新潮社
■東アジア学会[編](2003)『日韓の架け橋となった人びと』明石書店. *黒木彬文「安重根」所収
■海野福寿(2004)『伊藤博文と韓国併合』青木書店.*「安重根」の項目あり■市川正明(2005)『安重根と朝鮮独立運動の源流(明治百年史叢書457)』原書房.
■廣瀬為人・斎藤泰彦(2008)『遺された硯―わが心の安重根』創樹社美術出版.
■伊藤之雄・李盛煥[編著](2009)『伊藤博文と韓国統治―初代韓国統治をめぐる百年目の検証』ミネルヴァ書房.
■満州日日新聞社[編集](2011)『復刻版 安重根事件公判速記録(韓国併合史研究資料96)』龍渓書舎.
■うのていお[訳](2011)『安重根自叙伝・東洋平和論-仁の人、義の人、信の人』愛知宗教者九条の会.
■姜昌萬[監修](2011)『図録・評伝 安重根』日本評論社.
■金文学(2012)『知性人・伊藤博文 思想家・安重根-日韓近代を読み解くめぐる百年目の検証』南々社.
■趙景達・原田敬一・村田雄二郎・安田常雄[編](2013)『講座 東アジアの知識人 第1巻』有志舎. *小川原宏幸「安重根と伊藤博文-東洋平和構想をめぐって」収録
■礫川全次[注記・解題](2014)『安重根事件公判速記録(満州日日新聞社発行)』批評社. *満州日日新聞社[編集](2011)の翻刻版
■早坂隆(2015)『愛国者がテロリストになった日-安重根の真実』PHP研究所.
■李泰鎮+安重根ハルピン学会[編著]・勝村誠+安重根東洋平和論研究会[監訳](2016)『安重根と東洋平和論』日本評論社.
■山室信一(2017)『アジアの思想水脈-空間思想学の試み』人文書院 *「第八章 安重根・未完の「東洋平和論-その思想史脈と可能性について」
■金文学(2017)『韓国人が知らない安重根と伊藤博文の真実』祥伝社新書.
■李洙任・重本直利[編著](2017)『共同研究 安重根と東洋平和-東アジアの歴史をめぐる越境的対話』明石書店.
■龍谷大学社会科学研究所所属安重根東洋平和研究センター・李洙任教授退職記念刊行委員会[編](2022)『安重根・「東洋平和論」研究-21世紀の東アジアをひらく思想と行動』明石書店.

【論文・雑誌記事】(掲載順)
■高橋誠一郎(1909)「(時評)刺客安応七」『三田学会雑誌』2巻4号,pp.295~296, 1909年11月.
■谷譲次(1931)「安重根 戯曲」『中央公論』1931年4月号.
■山脇重雄(1956)「安重根関係書類」『歴史教育』(歴史教育者研究会)4巻2号, pp.59-65, 1956年2月.
■平川紀一(1966)「伊藤博文の暗殺をめぐって」『工学院大学研究論叢』5号, 1966年12月.
■三好徹(1969)「博文暗殺」『オール読物』(文芸春秋社)245号, 1969年5月.
■安重根(1970)「安重根自伝」『外交時報』1074号, pp.53-70, 1970年5月.
■建部喜代子(1970)「安応七歴史(資料紹介)」『アジア・アフリカ資料通報』8巻5号, 1970年8月.
■朴慶植(1970)「安重根とその思想」『未来』51号,1970年12月号.
■山下恒夫・吉田武(1971)「烈士安重根―日本の近代を拒絶するハルピンの銃声」『中国』89号,1971年4月
■安宇植(1973)「伊藤博文暗殺とその背景 狙撃者・安重根の行動と論理」『歴史読本』18巻3号,1973年2月
■安藤豊禄(1974)「昔の日本人は韓国に何をしたか-安重根事件」『実業の世界臨時増刊韓国特集』1974年12月
■安宇植(1977)「安重根と長谷川海太郎」『季刊三千里』9号,1977年2月.
■伊藤真一(1978)「父・博文を語る」『歴史と人物』78号,1978年2月.銃声」『中国』89号,1971年4月.
■峠憲治(1978)「特別取材 伊藤博文暗殺者・安重根の獄中記」『歴史読本』23巻7号,1978年6月.
■横山春一(1979)「安重根の書幅と蘆花」『民友』1979年9月.
■小宮山登(1978)「韓国の刺客安重根余話」『文明時評』(日本文化連合)40・41合併号,1979年12月.『実業の世界 臨時増刊 韓国特集』1974年12月.
■鈴木卓郎(1979)「義士安重根は生きている」『諸君』11巻12号,1979年12月
■東京韓国研究院(1980)「研究院だより」『韓』94号,1980年3月.
■伊藤真一(1978)「父・博文を語る」『歴史と人物』78号,1978年2月.
■金哲央(1980)「安重根の最後の論説「東洋平和論」をめぐって」『統一評論』178号,1980年3月.
■山岸一章(1980)「安重根と千円札」『民主文学』172号,1980年3月.
■崔永禧(1980)「歴史上からみた安重根義士」『韓』9巻4・5合併号,95号,1980年5月.
■崔書勉(1980)「日本人がみた安重根義士」『韓』9巻4・5合併号,95号,1980年5月.40・41合併号,1979年12月.
■安重根(1980)「寄稿(『海朝新聞』隆煕2年3月21日,第21号)」『韓』9巻4・5合併号,1980年5月.
■安重根(1980)「安重根自叙伝『獄中記』」『韓』9巻4・5合併号,1980年5月
■東京韓国研究院(1980)「東京韓国研究院蔵『安重根関係文献目録』」『韓』9巻4・5合併号,1980年5月.
■中野泰雄(1982)「歴史と審判-安重根と伊藤博文」『亜細亜大学経済学部紀要』8巻1号,1982年9月.
■前田幸子(1982)「伊藤博文暗殺事件をめぐって―教科書の記述と新聞報道」『海峡』11号,1982年11月.
■中野泰雄(1983)「『歴史と審判』補遺」『亜細亜大学経済学紀要』9巻1号,1983年9月.95号,1980年5月.
■市川正明(1984)「『安重根獄中記』原本の真偽をめぐって」『コリア評論』270号,1984年11月.
■市川正明(1984)「『安重根獄中記』は真筆だ」『自由』26巻11号,1984年11月.
■井田泉(1984)「安重根とキリスト教」『キリスト教学』(立教大学キリスト教学会)26号,1984年12月.
■中野泰雄(1985)「安重根義士と東洋平和」『亜細亜大学経済学紀要』10巻3号,1985年12月.
■姜徳相(1987)「朝鮮と伊藤博文」『季刊三千里』49号,1987年春.
■中野泰雄(1987)「近代ナショナリズムと日韓関係」『亜細亜大学経済学紀要』12巻2号,1987年8月.
■趙景達(1989 a)「安重根-その思想と行動」『歴史評論』469号,1889年5月.紀要』8巻1号,1982年9月.
■趙景達(1989 b)「朝鮮における日本帝国主義批判の論理の形成」『史潮』新25号,1989年6月.
■中野泰雄(1989)「伊藤博文と安重根」『亜細亜大学経済学紀要』14巻3号,1989年11月.
■中野泰雄(1990)「アジアから見た日本近代史」(『亜細亜大学経済学紀要』15巻1号,1990年3月.9巻1号,1983年9月.
■中野泰雄(1990)「日本人の観た安重根」(『亜細亜大学経済学紀要』15巻2号,1990年5月.
■中野泰雄(1991)「安重根義士と東洋平和論」『亜細亜大学国際関係紀要』1巻1号,1991年11月.
■大澤博明(1992)「伊藤博文と日清戦争への道」『社会科学研究』(東京大学)44巻2号,1992年3月.
■中野泰雄(1992)「安重根と伊藤博文-韓国文化院『相互認識・文化講座』」『亜細亜大学国際関係紀要』1巻1号,1992年9月.
■大江志乃夫(1993)「山県系と植民地武断統治」『岩波講座 近代日本と植民地4』岩波書店,1993年3月.
■中野泰雄(1994)「日本における安重根義士観の変遷」『国際関係紀要』(亜細亜大学)3巻2号,1994年3号.
■中川浩一・趙珍淑(1995)「安重根顕彰碑探索-その教材的意義を中心に」『茨城大学教育学部紀要 人文・社会科学・芸術』44号,1995年3月.
■佐藤幸也(1996)「東アジアとの連帯を求めて-安重根顕彰運動と高校地理・歴史の授業」『教育』46巻9号,1996年9月. 
■中野泰雄(1997)「平和の使徒安重根と日韓関係」『アジアフォーラム』(大阪経済法科大学)14号,1997年1月.
■中川浩一・崔智淑・朴桂媛(1997)「「補遺」抗日民族運動記念碑探索-霧社事件・烈女柳寛順・民族英雄安重根をめぐって」『茨城大学教育学部紀要 人文・社会科学・芸術』46号,1997年3月.
■糟谷政和(1998)「伊藤博文・安重根-韓国併合と日本の朝鮮支配政策」『歴史地理教育』576号,1998年3月.
■呉英珍(1998)「啄木が歌に詠んだ“テロリスト”安重根」『論座』41号,1998年9月.
■佐々木文(1999)「国際理解教育の教材開発における『動的な対話』の意義
-安重根と千葉十七の相互理解の心理過程をめぐって」『国際理解教育』5号,1999年6月.
■金容権(1999)「日韓新時代への『視点』-安重根と千葉十七 玄海灘に『見
えない橋』が架けられていた!」『望星』(東海大学東海教育研究所)30巻12号,1999年12月.
■宮田節子[司会](2001)「安重根・間島問題(1959年4月22日)(未公開資料 朝鮮総督府関係者 録音記録(2)東洋文化研究所所蔵友邦文庫)『東洋文化研究』(学習院大学東洋文化研究所)3号,2001年3月.
■石田雄(2003)「伊藤博文の「東洋平和」観―安重根のそれと対比して」『翰林日本学研究』8集,2003年12月.
■小田川興(2004)「日本における安重根に対する見方の変化」『聖学院大学総合研究 News letter』14-3,2004年.
■若松伸哉(2005)「安重根へのまなざし-漱石『門』」と鴎外訳『歯痛』」『日本近代文学』72号,2005年5月.
■伊藤之雄(2006)「韓国と伊藤博文」『日本文化研究』(東アジア日本学会・韓国)17輯,2006年1月.
■若林一平(2007)「文化と政治の弁証法-和解のメディアとしての安重根」『文教大学国際学部紀要』第18巻第1号,2007年7月.
■伊藤之雄(2009)「伊藤博文の韓国統治と韓国併合-ハーグ密使事件以降」『法学論叢』164巻1-6号,2009年3月.
■牧野英二(2009)「東洋平和と永遠平和-安重根とイマヌエル・カントの理想」『法政大学文学部紀要』60号, 2010年3月.
■戸塚悦朗(2009)「安重根裁判の不法性と東洋平和」『龍谷法学』42巻2号,2009年9月.
■安重根[著]・伊東昭雄[訳]・『世界』編集部解説(2009)「安重根『東洋平和論』」『世界』796号,2009年10月号.
■勝村誠(2009)「安重根と朝鮮植民地支配について-日韓国際平和シンポジウムを通して明らかになったこと」『歴史地理教育』753号,2009年12月.
■勝村誠(2010)「安重根の東洋平和論-その現代的意義を中心に」『歴史地理教育』754号,2010年1月.
■笹川紀勝(2010)「韓国併合100年-安重根の抵抗精神と平和論」『世界』801号,2010年2月.
■崔元植(2010)「『東洋平和論』から見た安重根の『丈夫歌』」『植民地文化研究』9号,2010年.
■康銀成(2010)「安重根義挙100年-日本における安重根研究の現況と課題」『朝鮮大学校学報』9号,2010年.
■金泳鎬(2010)「安重根『東洋平和論』の再照明」『世界』803号,2010年4月
■ホンボムシク(2010)「安重根烈士の死から一〇〇年,その後裔を訪ねて」『統一評論』536号,2010年6月.
■水野直樹(2011)「『博文寺の和解劇』と後日談-伊藤博文、安重根の息子たちの『和解劇』・覚え書き」『人文学報』101号, 2011年.
■麻田雅文(2012)「日露関係から見た伊藤博文暗殺 -両国関係の危機と克服」『東北アジア研究』16号,2012年.
■戸塚悦朗(2012)「東アジアの平和と歴史認識-安重根東洋平和論宣揚の必要性をめぐって」『龍谷法学』45巻3号,2012年12月.
■趙東成[著]・勝村誠[訳](2013)「安重根義士の遺骨発掘と遺品・遺物所在把握について-日韓共同作業を日本社会に提案する」『コリア研究』(立命館大学コリア研究センター)4号,2013年3号.
■倪志敏(2014)「アジアの第一義侠-中国における安重根を略説する」『アジェンダ』44号,2014年.
■戸塚悦朗(2014)「龍谷大学における安重根東洋平和論研究の歩み」『社会科学研究年報』(龍谷大学社会科学研究所)44号,2014年5月.
■李洙任・牧野英二・田中宏(2015)「日本の応答責任を果たすために-東洋平和を願った安重根の実像を知る」『社会科学研究年報』 (龍谷大学社会科学研究所)45号,2015年5月.
■戸塚悦朗(2015)「歴史認識と日韓の「和解」への道(その1)-安重根東洋平和論研究は、日本を孤立から救うか?」『龍谷法学』48巻1号,2015年10月.
■卞宰洙(2015)「この人に聞く 近代日本文学と朝鮮-安重根と石川啄木」『社会評論』179号, 2015年冬.
■平田厚志(2017)「安重根の処刑に立ち会ったひとりの浄土真宗本願寺派の教誨師」『アジェンダ』58号,pp.67-69, 2017年.
■黒木彬文(2018)「安重根の東洋平和論および伊藤博文暗殺にたいする日本知識人の反応」『福岡国際大学紀要』39号,pp.109-114, 2018年3月.
■小川原宏幸(2018)「朝鮮における小国主義の展開試論 -安重根の思想的展
開と金大中の「太陽政策」との連関性から」『人文学報』111号, 2018年3月.
■勝村誠(2018)「安重根 (フォーラム  テロとは何か。植民地の産物?)」『植民地文化研究』17号, 2018年7月.
■冨田孝好(2019)「海外レポート 韓国原爆平和展示館訪問&安重根義士殉国109周忌追悼式-戦争と平和、そして歴史をたどり真実を知るとは」『所報協同の発見』(協同総合研究所)319号, 2019年6月.
■勝村誠(2021)「安重根の獄中口述記録「聴取書」を中心に」『コリア研究』(立命館大学コリア研究センター)11号, 2021年3月.
■秋月望(2021)「沖野岩三郎文庫の安重根絵葉書」『国際学研究』(明治学院大学)58号, 2021年3月.

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