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安重根「伊藤博文一五の罪悪」(安應七第1回訊問調書より)

 伊藤博文を敵視するに至った原因は多々ありますが、次の通りです。
 第一、いまから十年ほど前に伊藤さんの指揮によって韓国王妃を殺害しました。
 第二、いまから五年前に伊藤さんは兵力を以て五ヵ条の条約 を締結しましたが、それはすべて韓国にとっては非常なる不利益をもたらす箇条でした。
 第三、今から三年前に伊藤さんが締結した十二ヵ条 の条約は、いずれも韓国にとって軍隊上(軍事的に)非常なる不利益の箇条でした。
 第四、伊藤さんは強いて韓国皇帝の廃位を図りました。
 第五、韓国の兵隊は伊藤さんのために解散させられました。
 第六、条約の締結について、韓国の国民が憤って義兵が起こりましたが、その関係から、伊藤さんは韓国の良民を数多く殺させました。
 第七、韓国の政治その他の権利を奪いました。
 第八、韓国の学校で用いている良好な教科書を伊藤さんの指揮のもとで焼却しました。
 第九、韓国の人民に新聞の購読を禁じました。
 第十、なんら充当できる金銭がないにもかかわらず、韓国の官吏に金銭を与え、韓国の国民になにも知らせずに、ついに韓国銀行券を発行しています。
 第十一、韓国国民が負担することになる国債二千三百万円を募集し、そのことを韓国国民に知らせず、その金銭を官吏たちの間で勝手に分配したとも聞き、また土地を奪うために使ったとも聞きました。これは韓国にとっては非常なる不利益なことです。
 第十二、伊藤さんは東洋の平和を撹乱しました。その理由は、日露戦争の当時から(開戦の詔勅では戦争の目的は)東洋平和の維持のためだと言いながら、韓国の皇帝を廃位し、開戦当初の宣言とはことごとく反対の結果を見るに至っているので、韓国国民二千万人は皆が憤慨しています。
 第十三、韓国が望んでいないにもかかわらず、伊藤さんは韓国保護のためだという名分で、韓国政府のごく一部の者と意思を通じて、韓国に不利な施政をしています。
 第十四、今から四十二年前に現在の日本皇帝の父にあたる方を伊藤さんが亡きものにしました。そのことは、みな国民が知っています。
 第十五、伊藤さんは韓国国民が憤慨しているにもかかわらず、日本皇帝やその他の世界各国に対して、韓国は無事であると言って欺いています。
 以上の原因によって伊藤さんを殺しました。

市川正明『安重根と日韓関係史』原書房, 1979年, 213ページより

【解説】
大韓帝国の独立運動家で義兵将(大韓義軍参謀中将)であった安重根は、1909年(明治42年)に10月26日の午前9時に中国東北部のハルピン駅のプラットフォームで伊藤博文を射殺した。安重根はロシア兵に捕らえられ日本側に引き渡され、4日後の10月30日に関東都督府地方法院の溝渕孝雄検事が旅順からハルピン日本総領事館までやって来て、安重根に対する第1回の訊問を行った 。その訊問に対して、安重根が伊藤を射殺した理由を15項目に整理して理路整然と述べたことはそれなりに知られているが、ここでは市川正明『安重根と日韓関係史』(原書房・1979年)に収録された訊問調書( 213ページ)を底本として勝村が現代日本語に書き改めた。

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