もう一度、誰かと音楽で分かち合うために29歳でDJをはじめてみた話
最近、よく思い出す。
当時、高校生だった姉に影響されて、中学生だった僕は音楽を聴くようになっていった。
夜8時になれば誰も外を出歩かなくなるような群馬の片田舎。そこで育った僕にとって「イケてるお手本」みたいな存在だった姉。彼女の聴く音楽がわからない自分はダサくて。何もわかっていなくて。いつも姉はカッコいい音楽を聴いていて。
だから、土曜は夜遅くまで起きて、一緒にCDTVを見ていることがうれしかったし、何もわかりゃしないのにWOWOWで流れたフジロックの録画を一緒に見てることで、なんだか自分までカッコ良くなれた気がした。
たぶん最初の頃に姉が聴いてたのは、ハンソンっていうロンゲ3人兄弟だったり、スパイスガールズだったり。あとはビョークだったり。トレインスポッティングのサントラだったり。適当に流行っていた音楽を聴いていたんだろうけど、僕には“カッコいい音楽”の入り口だった。
そこから、姉はKORNやRage Against the Machineを爆音で聞くようになって(彼女にとっては黒歴史かもしれないけど)、今だったら「ちょっと落ち着け」って思うけど、当時の僕は「ああ、これがカッコいい音楽なんだ」と勝手に思っていた。
学校は学校で、ハイスタやBRAHMAN、海外だったらOffspringとかGREEN DAYが流行りだした。おれこんな音楽知っているぜ。これやばいよ。友だちと音楽を分かち合おうと必死だったし、共感してもらえたらうれしかった。分かち合えなくてもまた次を探す、そんな風に音楽が真ん中にあるような日々だった気がする。
中高一貫教育、中学はバスケ部で。結局レギュラーにはなれなくて、バンドがやりたかったから「バスケをやめたいです」と三井寿と逆の事を顧問の先生にいったら「わかったー」の一言で中学の青春は幕を閉じて。
高校に入ってバンドをやったけど、メンバーの足を引っ張った。自然と楽器を弾かなくなった。あれ?エレキギターの音ってこんなにうるさかったっけ?と思うようになっていった。
音楽のせいで、全身にある毛穴という毛穴から血が吹き出すような恥ずかしい思いをたくさんしたし、ぜんぜんカッコ良くなんてなれなかった。
群馬を離れて、沖縄で暮らしはじめた。友だちができなくて、いろんな音楽を聴いた。その時に聴いてた曲はもうほとんど聴いてない。
音楽は「あのときのあの感じ」を真空パックみたいに閉じ込めてしまう。当時書いたブログの文章が『フィッシュマンズ全書』という本に転載された。今読み返すと恥ずかしい内容だけど、それがきっかけで僕は文章に携わる仕事に就いた。
最近、音楽といろいろな関わり方をしてきた人とよく会う気がする。音楽で誰かとつながることができるかどうかわからないし、分かち合ったからなんなんだ、何が変わるんだとも思う。でもどこかで「同じだった瞬間」を探しているような気がして。違う場所、違う時間を生きて、価値観が違って、気が合わなくても「同じように音楽を聴いていた瞬間」があったはずで。
ぜんぜん違う曲だけど、同じような気持ちが真空パックされているかもしれない。されていくかもしれない。なんとなくそんなことを考えて、考えてみたくて、たくさんの曲を聴いたり、かけたりできるようにとまずはCDJを中古で買ってみた(なんでだよ、と思われてしまうかもしれないけど)。
「今のこの瞬間」が、いつかの「あのときのあの感じ」になって。そんな「今のこの瞬間」を分かち合うために「この曲を一緒に聴こうよ」となればいいな。ただ、曲のつなぎ方とかぜんぜんわからないし、姉は結婚し、普通のおばちゃんになりつつあって、僕はもう30歳になっちゃったけど。