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思春期美術物語 〜水牛の角〜


(下品な話を含みますのでご注意ください)

2005年、僕中2、確か夏頃。

僕は美術の授業が大好きだった。自クラスの教室から渡り廊下を挟んだ別棟2Fの隅にある美術室。いつもの教室より広い室内に9卓並べられた四角い木のテーブルに出席番号順に4人ずつ座り、その時々に与えられた課題に応じて各々が自分の作品を作る。気の向くままに作業して、気付けば自分ならではの製作物がポッと出来上がるまでのあのワクワク感と、主要5科目とは違い、2:2で向かい合う形で談笑しながら授業に臨めるゆるい空気感が僕は大好きだった。

その夏の課題が、「水牛の角でペーパーナイフを作る」というものだった。水牛の角で出来た薄長細い直方体の角材を自分の好きな形にヤスリで削り、ペーパーナイフを作るという中2が喜びそうっちゃそうなテーマだった。

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ネットにこれこれという画像あり。上図のようにまず紙で好きな完成イメージの型を作り、その形になるようにヤスリでひたすら水牛の角を削っていく。なかなかの力作業で「腕しんどい」系の弱音をみんなでこぼし合いながら活動を進める。

ここからが本題。この水牛の角、削りを進めていくうちに削られた骨粉から鼻をツンと刺激する独特の匂いがすることに気づく。クサいと言えばクサいが我慢出来ないほどでもないクセのある匂い。いや、まぁクサい。「クサい」系の文句もまだ誰も口にしていないうちに、僕は気付いた。


「これ、肛門の匂いと一緒や。」


いつどこでなぜ嗅いだか分からないが、それまでの人生で自分の指を自分の肛門に当ててその匂いを嗅いだ経験が数回あり、そのとき嗅いだ匂いと、この水牛角骨粉の香りが全く同じであると完全に知覚した。ドン引いてしまった読者の方を呼び戻す為に一つだけ補足したいとすると、この指嗅ぎ行為は大人になった今行うことはなく、あくまで若気の至り選手権少年の部入賞行為であるということ。皆さん受賞歴はありますか。いずれにせよ、大人になった今ですらこのような補足言い訳をするのだから、思春期真っ只中当時の僕にそこで「肛門の匂いがする」と発言し周りに共感を求めるなどという気概は毛頭なく、自分の心の中にそっとその思いを閉じ込めた。無論、「自分の肛門に指を突っ込んで嗅いだことがある」と言う事実を周りに知られることが恥ずかしいと思ったからである。

みんなどう思ってるんやろとは思いつつ、匂いとうまく付き合いながら削りを進め、腕が疲れてきたなぁというタイミングで、学年1の秀才、兼クラスのお調子者、兼僕の親友、だった「中おっキー」のいた斜め後ろのテーブルに僕はふらっと立ち歩き着いた。そしてその瞬間、中おっキーが僕に向かって言った。

中おっキー「ちょ待って、、、この粉めっちゃ肛門の匂いする!!!」


僕「ブフォッ!!!」


僕は吹き出した。禁断の一言を何の恥じらいもなくみんなに聞こえる超デカい声で親友が言い放った。「やっぱりそやんな!!」「お前も嗅いだことあったか!!」「いやホンマそれ!!みんなはどう思ってる?」等色んな思いが頭を巡った挙句、僕は言い返した。


「肛門の匂いて何やねん!!!」


僕は親友との「涙ちょちょ切れ共感大爆笑」ではなく、「周りに引かれるリスクを取らずにその場を平凡にやり過ごす」ことを咄嗟に優先した。思春期丸出しだった。すると中おっキーは強めの口調でこう言った。


「いやあるやろ肛門に指突っ込んだこと!!何でわからんねん!!完全に肛門やろ!!」


僕「ないわ!!」


記憶している限り人生最嘘の苦しく悲しい「ないわ!!」を僕は決め込んだ。何でこの男はこんな大きな声でこんなことが言えるんだろうと思いながら。


「肛門やろ...!」


そう言い放ち中おっキーのデカ肛門発言は収まった。彼は中2時点で完全に「思春期の恥じらい」に打ち勝っていた。一方僕は思春期丸出し、「キモがられたくない、シュッとしていたい」一心で親友の思いを裏切った。周りが僕らのやり取りに触れることも特になく、その場は何事もなかったかのように収束した。中おっキーは眉間に皺を寄せながら少し残念そうにそのまま作業を続けた。


....いざ改めて振り返るに、思春期真っ只中の僕の気持ちはよく分かる。あんなデカい声で「肛門の匂いや!!」と言われデカい声で共鳴出来るかというとそりゃあ恥ずいだろ。あの声量にも関わらず周りも誰も食いついてこなかったことを思い返すと、中おっキー以外、全員思春期真っ只中だったと思われる。この文章を書き始めたときは、最終自分の「ええカッコしい」な点を反省し、懺悔することになると思っていたが、いざしっかり振り返ってみると中おっキーがブッ飛んでいただけではなかろうか。思春期を凌駕しすぎだろ。何ちゅうやつや。

そんな漢の中の漢、中おっキーと僕はその後同じ高校で同じラグビー部に入部する。彼のタックルはやはり熱かった。体は小さくても信念を曲げない熱さで相手に向かっていった。その情熱の火はラグビー部引退後も消えることなく、彼は勉学に魂を燃やし、京大の工学部に入った。今彼は博多で日本の工業を支える鉄鋼系の技術者として熱く働いている。イケイケのギタリストでもある。京大に入り日本を支えるような男は中学の時から一味違う。そんな話ということにします。汚い話ですみませんでした。



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