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植田慎弥 in Japan


植田慎弥という司令塔系几帳面思い遣り東大阪ロレッタハードゼリー男にまつわる思い出をめちゃめちゃ書き連ねる回です。

僕が彼と出会ったのは大学1回生の5月。入学して間もない、いわゆる部活・サークルの新歓シーズンだった。入学当初、「阪大でラグビーを続ける」意思は体感37%くらいだった。高校で大ハマりしたラグビー、やめるのちょっともったいないとやはり未練はあるけど阪大のグラウンドは砂。大学入ってまで擦り傷まみれの体で過ごすの嫌だな。みんな大学入ってまで砂でよぉやってはるな。あとマッチョな大学生になりたくない。服似合わなくなるから。茶髪でシュッとしてたい。楽しそうなサークルあったらそこに入ろう。みたいなプランプランなおちんちんをしていた。暗黒鬱の浪人期を終えなんとか第一志望の「阪大」に入ることが出来一旦そこで満足し、さぁどんな華やかな大学生活を送ろうかと呑気パァパァモードだった。2個上の高校の大先輩藤森さんが大学ラグビー部でも明からさまに中心人物、小中高浪人全部一緒の大幼馴染甲斐が早々に入部を決めている。その2人が「お前もやろや」と言ってくれるが、かわし気味におちんちんだけをプランプラン(以下ちんプラとする)させていた。入る気のない舞踏研究会の新歓に「連れてってくれるご飯屋が美味しい」という理由だけで何回も行ったり(すみません)、外語のフットサルサークルや豊中のテニスサークルの新歓を「1人ジャルジャルで覚えて下さい」というキモ自己紹介片手に回ったりするも、結局「さぁ入ろう」と思えるサークルは全く見つからないまま5月を迎えた。そんな最中。いちょう祭という春の学園祭でちんプラしていた時に、その植田慎弥という男が現れた。姿勢がピシッとしていてイケている。甲斐と一足先に知り合ったというその男は天王寺高校ラグビー部出身とのこと。「阪大ラグビー部に入ろうと思ってる」とのこと。彼自身まだ入っていないのに、持ち前の情報収集能力を当時から発揮し、その他の同期誰が入りそうか、みたいな情報を全て把握していた。山本知輝という新歓タッチフットで見た茨木高校の上手いSOも入りそうという情報もそこで得た。その時点でBKメンバー(ラグビーはFWとBKというポジションに分かれており、それぞれのかたまりで多くの時間を過ごす)で入部していたのは瀬藤というめちゃくちゃダサい半ズボンで練習している清風南海の奇天烈な男だけだったという事実も僕がラグビー部入部にイマイチ踏み切れない理由として大きかったため、植田山本という2名のBKが入るという事実は僕の背中をラグビー部方向にドンと押した。その数日後、慎弥、知輝と同タイミングで僕は正式にラグビー部入部を決めた。

一緒に練習してまずビックリした。植田慎弥この男、めちゃくちゃラグビーが上手い。パスばり速いし綺麗しタイミング良いしキック両足で蹴れる。天王寺高校にこんなやつがいたのか。よくよく話を聞いていくと彼は小学生の頃からラグビーをしており、「中学時代に大阪府大会で優勝した英田中のSH」というスラダンで言うところの三井寿みたいな存在であることが分かる。周りが仰星とか常翔行ってラグビー道に進む中で、勉強して天王寺に行ったという稀有ケース。彼はこう言った話を自分からしないため、こちらから根掘り葉掘り聞かないと出てこない。もうちょい言ってくれてええぞ。こんな人と同期で一緒にラグビー出来るん、ええやん。そう思い僕のラグビーテンションはいい感じに上がった。入部して間もない阪名戦で彼と僕は一緒にスタメンで出ることになった。たまたまポジションが空いていただけだが、この慎弥と2人1年でスタメン、ええやん。と僕は内心イキり、茶髪パーマでスカしていた。そんな試合で僕はボロを出しまくり、その後すぐにスタメン落ちした。その後慎弥突如休部菅平遭遇事件など色々ありつつも、結果慎弥と知輝が1回生でスタメンとしてリーグ戦で活躍し、一方の僕はベンチメンバー、かつ金玉キャラ(詳細割愛)として、瀬藤は四肢の太いホラ吹きとして1回生を過ごした。

2回生になり、古賀とタコが途中加入し、BK同期は賑わった。嬉しかった。このタイミングから僕は鈴木さんの抜けたフルバックをやることになった。鈴木さんの後きつ。高2の号泣古賀の気持ちが少し分かった。キックが下手な僕のキック練習に慎弥はめちゃくちゃ付き合ってくれた。の様相を呈していたが実はその練習で慎弥自身がめちゃくちゃ向上しようとしていた。彼は探究心が凄い。キックもパスも一番上手く、もう十分だろと周りは思うが常に向上しようと改善点を探しながら練習をしている。なんだかんだでいつも一番最後まで個人練習していたのは慎弥だった。上手い奴の上手い理由はこれか。それに逆に付き合わせてもらっていた僕だったが結果キックは最後まで掴めなかった。ドンマイ。藤森さんが最後まで僕をフルバックとして使ってくださったことに感謝。フルバックのオフェンスしてる時間がその時の人生で一番楽しかったです。

2回生以降の慎弥との思い出の軸は「原付」。2回生から豊中で一人暮らしを始めた僕は原付を購入。同じく豊中に住み原付を同タイミングで買った慎弥と、どこに行くにも共に原付を走らせた。慎弥が引越す前は半町の讃岐製麺、引っ越した後は坂下の慎弥家で待ち合わせた。僕はボロ紺VINO、彼は新車茶色VOX。それぞれらしさの光る愛車。試合会場、土日練習の吹田、行きも帰りも2人で原付を飛ばした。慎弥の後ろについて走ると、なんでこんな道知ってんのみたいな細い道に入り最短ルートで目的地にたどり着いた。彼の探求心は日常のあらゆるシーンで垣間見える。そういった塩梅なので基本的に慎弥が前で僕が後ろ。吹田練習の帰り道に中環を原付で走っていたときに、前の慎弥だけがスピード違反で捕まって後ろの僕は逃れ一旦慎弥を置き去りにして前方のコンビニで慎弥を待ち、慎弥だけ罰金を払った青春(アオハル)。大阪国際大学まで1時間30分かけて慎弥と2人で原付で向かう道中、高槻で僕がスパイクを忘れたことに気づき1人折り返し取りに戻ったしんどい思い出まだ全然美化されてないわ。

僕らが2回生になったタイミングで慎弥の天王寺高校の後輩:きこちゃんがマネージャーとして入部した。「慎弥の天高の後輩マネージャー今日練習来るらしい」から「めっちゃ靴下短いきこちゃんが豊中グラウンドの階段を駆け下がってくる」までの一連をなぜかやたら覚えいている。ミスチル好きのきこちゃんと仲良くなってから3回生になり付き合うまでのアレソレを一番よく知っているのは慎弥君あなたですね。詳細は割愛するとして色々お世話になりました。初期の頃に3人で難波で食べた一蘭が印象深い。僕はそのきこちゃんと結婚しました。

3回生の阪名戦で慎弥は親指を骨折。そして回復したリーグ戦第1戦甲南大学との試合で全十字靱帯を断裂。同じ日に僕は左腿裏を肉離れした。僕は肉離れの瞬間を相手チーム観客クソオバハンに大声で笑われたこと以外大したことなかったが慎弥の怪我は大学選手生命に関わる大怪我。チームにとっても一大事だった。界隈はざわつき、本人もしんどかっただろうが慎弥はあくまでも気丈に振る舞った。怪我で出れない間も、チームのためにそのラグビー経験と知力から成る的確な発信をする彼を先輩同期後輩皆頼った。プレーは出来なくてもその存在感はやはり大きかった。

3回生の秋から4回生の春にかけて僕はチームを不在にし、台湾に留学した。その間に毛利主将、慎弥小寺副将の新体制が発足した。台湾から帰ってきた時、怪我人も多くて正直チームはボロボロだったけど、菅平あたりからなんとか盛り返し、最終なんとかBリーグに残留。膝が壊れたキャプテンフミ君の寒空号泣スピーチとかもあったな。FWはエース小寺、BKはアーサーとか樺島とか聖とかetc.の下級生の存在が大きかったな。西田は一番上手いのにメンタル崩してたな。拓二郎とか千里とか変な一回生がおったんも楽しかったな。当時は大橋とがわやが慎弥の弟子なイメージ。大橋は多分今よりは少し顔小さかった。シーズン途中から慎弥が復帰して一緒に試合に出れた時は本当に嬉しかったし楽しかったしちょっと泣いたな。僕はアディゼロ、慎弥はコパムンディアル、真っ白スパイクで揃えて若干イキってたのも良い思い出。真っ白コパ履いてる慎弥を見た関大のBKに「あいつ絶対上手いやん、てか上手くないとあれ履けへんよな。」って言われてるのを見て、「うん上手いから履いとるんやで。」と思った良い思い出。4回生になっても原付で豊中からポートアイランドの甲南大学まで行ってた気するけど今考えたら凄いな。坂本とかも一緒に。試合で怪我したらどうするつもりやったんやろ。何はともあれ最後の一年、最高に楽しくて引退したくなさ過ぎた。追いコンのスーパー100番でのスピーチで自分泣いてたん熱いな。聖もそれ聞いて泣いてたん熱いな。追いコンにはアメリカから帰った知輝もいたな。フミ君は膝の手術でおらんかったな。その日古賀が慎弥の家で吐いてたな。その日に全員風邪ひいて最後の東工戦38.5℃で試合出たのも良し。当時のご時世としてはセーフ。

就活も慎弥はめっちゃ慎弥やったな。いわゆる無双というやつをしてたな。

社会人になってから僕愛知慎弥東京になるも東京と大阪で事あるごとに会ったな。東大阪の慎弥の家近く寄りつつ毎年高校ラグビー観に花園行ったな。慎弥のお父さんにチケットもらったりしてたな。裏なんば行ったり。淡路でラーメン食うたり。 W杯決勝も知輝と3人でギロッポンのハブで観たり。準決やっけ。登戸の慎弥家行ったり。二日酔いで蓮爾登戸店のラーメンばり残したり。全然上手ならんけど現状維持だけする定例のスノボ行ったり。古賀と婚約届けの証人なってもろたり。ラーメン食いにきてもろたり。ラジバンダロ。

思い出の陳列棚やぁ

そんな慎弥の結婚式でなかやまきんに君になれたのは光栄なことです。人って、人のためにマッチョになれるんですね。僕らのプロテインは君たちの笑顔でした。本当に素敵な結婚式でした。君って本当かっこいい。誇り高き勇者のよう。思いが伝わってくる。特別な人です。これまで通りよろしくの意味を込めてこのnoteに思い出を一時保存いたします。

ペニス!



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