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古賀遼東半介という男の関わりとを詳らかに書く記事 後編


前編のあらすじ:古賀遼東半介の遼東の部分を「りょうとう」と読むか「リャオトン」と読むかで人生は決まる。


↓以下後編↓

中3最後の大会、2回戦で多賀中という強豪に当たり敗戦、僕らは泣きながら卒部した。

卒部後ほどなくして受験モードへのシフトに成功し、勉強を血眼で頑張った古賀遼東半介と僕は県内随一のウルトラ鬼進学校である膳所高校にすまし顔で入学した。僕は野球に未練はあったが、中学時代通った塾にて学歴至上主義の塾長が「部活する奴は全員クソ」というプレミアム極論を展開していた影響を受けており、高校では「ガリ勉帰宅部なのに体育祭で意外に活躍する顔面ホームベースダークホース」にキャラ変しようと思い、「高校野球はやらない」ことを決断した。しかしその後、「本校では9割の生徒が部活をしています。そういう先輩たちが大学受験でも結果を出しています。絶対に部活をして下さい。」と文武両道をゴリ押しする英語教師奥村のメガネ越しの眼力にまんまと圧倒され、「野球部は無いにしても何かしらの部活には入ろう」と思い至った。

体育館で行われた「部活オリエンテーション」という、各部が自分の部活をプレゼンするイベントにてやや滑りしてたけどなぜか惹かれたラグビー部に、中岡、久保田、古賀遼東半介、僕、の草津中4人衆で向かった。全員でタッチフットの楽しさに一発で騙され全員でその日に入部を決めた。「高校野球はやらない」はいいが、その目的である「勉強を頑張るため」の部分を忘れ、野球部並み、あるいはそれ以上にきついとされていたラグビー部への入部を決めたのであった。アホであった。

ラグビー初心者は体をぶつけること、特にタックルに対する恐怖心が拭えるタイミングまで地獄を過ごす。(僕の場合それは高2の夏だった。)しばらくの地獄をほぼ全員初心者の同期同士で傷を舐め合いながら過ごした。古賀遼東半介も高1の6月くらいのタイミングで早速手首を骨折するなどいい塩梅に地獄生活を送っていた。

そして事件は勃発する。「古賀遼東半介退部騒動」である。その他に「田中健也退部騒動」や「横江遼一退部確定」など色々あるが今回は古賀遼東半介回なのでこれに触れる。高2の確かゴールデンウィークの時期だった。学校のセミナーハウスに一泊して午前午後とミッチリ練習する通称セミナー合宿というものがあった。その1日目の午前練習で監督の上田氏にいつもより強めにケチョンケチョンに言われメンタルがメッチャメチャになった古賀遼東半介が昼休憩時に、セミナーハウス前のベンチで急に号泣し始め、「オレ、辞めるわ。」と言い出した。古賀遼東半介はその器用さと小学時代のラグビー経験もあり、「スタンドオフ」という上手いやつがやる司令塔ポジションのレギュラーを任されていた。しかしその前任が麻生さんというセンスの塊パーフェクト超人、スラムダンクで言うところの仙道みたいな大逸材だったため、その後釜を務めることに対するプレッシャーを必要以上に感じていたようだった。彼の退部宣言を受け、同期の皆で号泣しながら彼をとめた。傷を舐め合ったことにより尋常ならぬ仲間意識が芽生えていたらしく、そこにいた登場人物7名前後が全員号泣していた。今振り返るとワロてまうくらい青春(アオハル)のワンシーンだが、当時の僕らは仲間を失いかけているその状況がとても辛かった。その後同期だけの力では退部宣言撤回には至らなかったが、監督の上田氏、顧問の東谷氏の諭しの末(日々強く言い過ぎてごめん、期待の表れやないか、でももうちょい優しくする、もっかい頑張ろや的な諭し)、なんとか古賀遼東半介は退部を踏みとどまった。ギリ耐えだった。

僕が書きたいのはここから。この件には後日談がある。高3になり、部活が完全に楽しくなっていたある日、仲間達と騒動の日について振り返り談笑していた。古賀遼東半介の口から「克哉(筆者)泣いてたけど、説得めっちゃ下手やったよなぁ。泣きながら、こいつ下手やなぁ。と思ってたわ。」とのたまひやがったのだ。自分のことを思い本気で泣いていた仲間に対して。どんだけ説得下手やったねんとも思うが、これこそが、僕が古賀遼東半介に対し人生で最も腹を立てた瞬間だった。鈍器のようなもので後頭部を殴りかけたがギリ耐えた。古賀遼東半介は一見ノーマルの様相を呈していながら、時に、全体の2%くらいを占めるサイコパスな一面を垣間見せる。気をつけた方が良い。

結局僕らは2009年11月に、花園県予選準決勝でその後優勝する光泉高校に惜敗し、これまた泣きながら卒部した。

高校だけでこれまた書きすぎた。ヤバい。

現役時は2人共に神戸大学、古賀遼東半介は経営学部、僕は経済学部を受験した。神戸に前泊し、寝坊を恐れ2人で同じ部屋に泊まったが、古賀遼東半介のイビキのあまりのうるささに、就寝が希望より3時間ほど遅れた。僕の場合はどうせ落ちていたからいいが、大事な日の前日にこの男と同じ部屋で寝ることはお勧めしない。

結局2人とも現役受験に失敗し、(古賀遼東半介は結構惜しかった)「膳所高四年生」との異名を持っていた駿台京都校に入校し、毎日草津から二条城まで通った。僕は浪人中に失恋し、ほぼ鬱みたいな状態が半年ほど続いた。同じクラスでほぼ隣にいた古賀遼東半介にも負の波動を与えた時期があった気がしている。その節は申し訳ありませんでした。アーメン。
そんなこんなでなんとか一年駿台にほぼ毎日通い、僕らはこれまた2人同じ、第一志望の大阪大学に合格。古賀遼東半介は経済学部、僕は外国語学部に入学した。

大学に入ってからしばらくは、ラグビーどうしよかなぁと思いながら、気になるサークルを適当に回った。久保田甲斐というこれまた小中高大ずーっと一緒で、これまた後で記事を書きたい男が一足先にラグビー部への入部を決めており、僕もちょこちょことラグビー部にも足を運んだ。5月頃、植田と山本という当時から魅力的な雰囲気を纏っておりかつラグビーも上手だった大阪出身ラガーマンが体育会ラグビー部への入部を決め、これは楽しくなりそうだと思ったことをきっかけに、自分も大学でラグビーを続けることを決断した。
一方の古賀遼東半介はバイトやサークル中心の、およそ大学生らしい生活を送りたいとの感覚を得たようで、色んな大学が集まるthe大学生みたいなイベントサークルに入っていた。が、一年でその生活に飽き、2回生になった春にラグビー部に入部した。ラグビーには中毒性がある。同じタイミングで八幡と藤本という元高校ラガーマンも入部し、同期が一段彩られた。

古賀遼東半介はニカッとした笑顔、他人への気遣い、要領の良さ、綺麗な字、圧倒的な優しさ、聞き上手、説明上手、女性のことが大好き、スベれる、などまろやかな性質をたくさん持つ。彼と接したことがある人ならわかると思うが、彼には天性の接しやすさがある。自分にはないもので非常に羨ましく思う。長年一緒にいて思うが、組織に彼がいると彼が潤滑油となり物事がうまく回ることが多い。就活時にESに書く彼自身のキャッチフレーズを同期のみんなで考えた結果「あなたのホットステーション、ローション」というLAWSON顔負けの迷フレーズが生まれたほどだ。少し失礼な言い方かもしれないが、レーダーチャートで表すと、「突出する項目はないが、超綺麗な五角形」。この角のないバランス力で超ナチュラル、かつさりげなく組織を回す天性の力があると思う。項目に「エロ」があれば綺麗な五角形が崩れ急に鋭利になると言う点については敢えてここでは触れないでおく。ドーン

そんなこんなで彼とは社会人になってから数年経った今も懇意にさせてもらっている。中高大の旧友で集まったりする際には大体彼がいる。
僕の結婚式の折には、全幅の信頼を置く彼に余興幹事を依頼した。「旅立ちの日に」を僕の中高大の友達総出で合唱するという、彼だからこそ出来る壮観な企画を実施してくれ、超感動した。めちゃめちゃ良かった。

先日の連休で大阪に参った時に彼と会い、お決まりとなるラーメンとサウナをキメた。相変わらずの接しやすさに触れ、この記事を書き始めた。一部自分史みたいにもなった。ボリューミーすぎて自分でも引いている。もしここまで全部読んでくださった方がいればその方にお中元を送りたいレベルである。住所を教えて下さい。

思っていたπ倍長くなりましたが、これにてパイバイ👋




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