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祝・繁昌亭15周年

9月15日、

大阪の落語専用劇場、寄席(よせ)・繁昌亭のオープン記念日です。

天神さんーー大阪天満宮の北側の土地を借りて、


15年前の2006年、【天満天神繁昌亭】が完成しました。

こけら落とし公演の前座、トップバッターは、若き桂吉弥でございました。
35歳か、若いなぁー。(今から比べたらですが)

60年ぶりに!、大阪で復活した寄席ですーー。

その初日の出番もらっただけで、めちゃめちゃ嬉しいですやんか。


前座やから、時間は10分とか、12分とか、短かったですけども、

「時うどん」

気合い入れてやりました。

中トリの、三枝師匠の時のお客さんの異様な盛り上がり、

トリの春団治師匠の全てを包み込む「高尾」の一席に、

ーー「これは落語だけで興行は成り立つ!」

と勝手に興奮してましたね。


桂米朝師匠ーーー、

私の師匠吉朝の師匠、大師匠です。


内弟子をさせてもろてたし、私からしたら、絶対的存在。

落語家としても、人としても。


いや、もう
神様みたいな存在です。


その米朝師匠が、

繁昌亭が出来る直前まで


「落語だけの寄席が、大阪で成功するわけない」

とずーっと言うてはりました。

「最初はエエやろ、テレビでも人気の噺家が出るさかい、まあ一年はお客さん来はるわ。
せやけど、所属事務所も売れっ子を昼席の一週間に出し渋るで。
そんなら、顔付けが悪うなる。(並ぶメンバーが知らん人ばかりになるで)
お客さんは正直やからなあ…。」

と。


漫才や音楽ショウが人気の、昔の大阪の寄席の頃から落語をやっていた米朝師匠やからこそ、

肌で感じてきた思いなんでしょう。

漫才中心の寄席から飛び出して、ホールで落語をやることにしはったのも、落語への米朝師匠の愛!や

と私は思います。

『繁昌亭は、うまいこといかんのかなぁ』

と神様の言葉に不安になってた私でしたが…

こけら落とし公演初日のバレ太鼓を聞きながら、

『落語だけで、お客さんは来てくれる』

初めて米朝師匠に心の中で逆い、確信したことを覚えています。


ーーーその日から15年が経ちます。


先日のその記念すべき日の午前に記念の会がありました。


前座が吉弥、トリは笑福亭仁智会長。

出番は二人だけやったんです。

ご時世もあり、クローズの会でしてんけどね。

わたしは、

ーーー「時うどん」やりました。


月日分、進歩しとるのやら、しとらんのやら…。

けど、

米朝師匠、繁昌亭は、1年どころか15年続きましたよ~。

感慨深い日となりました。

さて、ここからも15年でも30年でもご愛顧いただけますように〜。

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