カツオの企画書の礎になった4人の放送作家の企画書

カツオの企画書は、
4人の企画書イズムが入った企画書である。
 
1人目は、2005~2006年にかけて、
毎日のように俺に企画書を書かせた
“昭和おじさんプロデューサー(=以下、おじさんP)“の企画書フォーマット

実は、それは俺の記憶が正しければ、
今や売れっ子作家の先輩が書いた企画書フォーマットだった。

そのおじさんPが俺と会うまで馬車馬のように企画書を書かせてたらしい。
でも、やたらと企画書を書かせるから
「コイツと一緒にやっていても意味ないな」と思って、
放送作家を辞めて実家に帰るというウソをつき、フェイドアウトしたっぽい

当時はそんな「おじさんPの嫌われ具合」などつゆしらず、
俺はその企画書フォーマットで書き続けた。
今もその企画書フォーマットの名残が色濃く残っている。

だから、その先輩作家が俺の企画書を見たら「あ!」って思うはずだ。

俺も、その先輩作家と知り合いだが、そのことには触れていない。

なんで知ってるかというと、そのおじさんPの企画書に
その放送作家の名前が書いてあったからだ。

そんな企画書を1年間書き続けて、徐々に筆力がついてくるわけだけど、
慣れてくると企画書に”酔いしれ“が生まれてきた。

「酔いしれ」…つまり、企画書を「詩的」に書こうとしてしまうのだ。

それは昔、秋元康さんの企画書が、そんな感じだという
裏取りもされていない情報を鵜呑みにし、自分もできると思って書いた。

当然、「詩的な企画書」なんてうまく行かず、
一緒に企画を考えた人(=企画書提出先)に怒られる始末。

ただ、それが今の「カツオの企画書漫談」になっている。
その漫談は、イベントで時々やります。

2人目は、先輩作家。
その先輩作家は、企画書冒頭で、バン!バン!バン!と番組でやることを
企画書パンチラインとして打ち込むタイプだった。

「詩的」「酔いしれ」などはなく、的確にパンチが当たっていた。
確実に当てる!当てる!パンチを当てる!

すぐに盗んだ。

この「盗み」で「進化したな」と思ったことは覚えている。

今のカツオの企画書の1ページ目の“打ち込み“はその名残である。

で、次の1人は、後輩作家。

この後輩とは、付き合っていた制作会社が同じで、
俺が書いた企画書をそいつが、そいつが書いた企画書を俺が書き直す
みたいな「企画書の交換」がボコボコなされていた。

必然的に、その後輩の企画書の良い所は盗み、自分のに移植した。

かなりグレードアップした。

その後輩の企画書はレイアウトが整理されていた。
あと、ワードアートをキレイに使っていた。

そして、最後が、また別の先輩作家。

その人も当時、よく企画書をよく通していた。

で、何かのキッカケで、その人が書いた企画書を手に入れることができた
素晴らしかった。

その人の企画書は一言で言うと「手紙」だった。

前述の先輩作家のようなパンチの打ち込みをしつつ…
手紙のように、なめらかな文章の企画書を書いていた。

「手紙のように」をもっとわかりやすくすると「話しかける」感じ。

企画書を呼んでいる人にマジで話しかけている感じ。

これは!と思った。

で、立てるべき文言・文章は色分けされているみたいな。

こういう書き方していいんだと思った。

すぐに盗んだ。

と、以上がカツオの企画書の礎になった4人の放送作家の企画書の話。
もちろん、それから企画を決める編成担当の話や、
一緒に企画を考える仲間の話を聞いてブラッシュアップ。
かなりアップロードをし続けて、今に至る。

この流れだと、自分の企画書をココで公開したいのですが、、、
まだ、この「NOTE」の使い方をわからず。

まあ、毎月or隔月でやっている企画会議イベントで公開してます。
もし、興味があれば。

こうして、自分が思ったことや記憶を残して行こうと思う。

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