2002年格闘集団レックスジャパンから脱退した時の話②。

先週の続きです
先週の記事です↓

当時レックスジャパンを応援してもらっていた方々とは別でボク、井上勝正個人を後援してやる、というスポンサーも増えて来ていて
ボクの試合用のコスチュームにはそのスポンサーの社名が全て貼り付けられていた。
個人スポンサーの方達に
「ボクはプロレスラーになります」と個別に説明して回った。
かねがね
「頑張りや!」とか「家の事は大丈夫なんか?」と言っていただいたのだけど
とある会社の社長にお話させていただいた時、

「お前は何言うとんねん!お前が大阪で頑張る言うから応援しとったんやんけ!何が今からプロレスじゃッ!横浜に行く!?ええ加減にせえッ!」

と言って怒られる。
仕方がない、そうだ。
スポンサーに言っていた最初の構想とはインディープロレスと関わって行くにつれてかなり変化していた。

「大阪でやる、言うとったやんけ!」
怒鳴り声はその方の会社の社長室のドアを突き抜けて
心配した社員の方々が何人も覗きに来たぐらいだ。

オレも大阪でやりたかった、でも無理だった。
やれる筈だった、でも無理だった。

「格闘集団レックスジャパン」に関わる人みんなが考えていたものとボクの考えがそもそも違っていた、
みんなの考えもあるが、
「プロレスでやる」と決心したボクには家業の事も含めて時間が無かった。

様々な事情が絡みあって捻れていた。
ボクは何も言わないで頭を下げ続けた。
「俺はな、お前に夢みとった」言われた、
社長の顔を見たら泣いていた。

ボクは 裏切ってしまうことになって申し訳ありません と頭を下げた、

頭を下げ続けた。

社長室には窓があり、陽が傾いてオレンジ色になり、横から射してくる。
その会社に訪問したのはお昼過ぎだ、
もう日が暮れる。

試合があるのでその日の深夜の高速バスでまた横浜に向かうのだ、
辛かった。


社長、そして応援してくださっていた皆様、
レックスジャパンの当時の参加選手の皆さん、セコンドの皆さん、
あの時はボク個人の事情も言葉足らずやタミイング合わずではっきり説明する事が出来ず、誤解も生じて懺悔の気持ちです。
この場を借りて皆さんに当時の自分をお詫びします、
様々な事がありましたが
申し訳ありませんでした。


正確にはこのお話は
格闘集団レックスジャパンを辞めて、大日本プロレスに途中採用で入団したのが2002年で
話の内容的には2000年から2001年の末にかけてぐらいの内容。

それで2002年にリング上でマイクを取って
「オレはレックスジャパンを辞める」と言ってその場で
「大日本プロレスに入団する」形にしたという事です。

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