見出し画像

カツコ道

様々な肩書を持って、仕事やら活動やら、色々と「生きている」ワケだけど
「自分で在り続ける理由」について少し紹介したい。
長文になるので覚悟して下さい。

○名前の意味と転機

本名を「勝裕」と言います。
親父が「勝って」「ゆたか(裕)になる」という意味で
姓名判断の本や、様々な事を考慮した上で
つけてくれた名前です。
出生届の期日ギリギリまで考えて
親父が尊敬する母方の父の名前を貰って
この名前になっています。

普通は名前を貰うまでに事前に承認を貰うはずだったそうですが、期限がギリギリだったので
事後にした。という話。

親父はしきりに当時を振り返って
「事後承諾だった」ということ
「目上の方の、1文字目を名付けの2文字目に持っていくと言うことは、それを超える人間になるということを暗に示すこと」
こういう事を氣にしていましたわね。

名前のルーツは、親父が「人生の敗北感」
「自分が親にされたこと(育ての親も含め)」
それが深く関わっていたようですが…

それを知るのがわたしが16歳。
高校入学に保証人が2名必要で
親戚まわりをした際

親父にとっての叔父の家にお願いした時。
ポロリと話が出たんだわね。
「あれ、勝裕ちゃんのおじいさんの話、まだ知らなかったんだっけ…」
叔父の息子の奥さんの一言。

親父はすかさず
「この話は、家で話す」

ルーツの話になれば、それだけで1冊の本が書ける勢い。「西條家の歴史」という本で書き上げる事が出来る内容なので
省略する。今はわたしのことを話したい。

ここで読者の皆さんに知ってもらいたいことは「家の事は根深く」
「わたしの人生に暗い影を落としていた」
「こういった根深い内容が、自分の今を作っている」
「今だからこそ、落ち着いて内容を公開できている」ということ。

だから結論から言えば「家族は大事に」
「いわゆる業と因果の領域も、自分で選ぶ」
「わたしも解決途上」
「だから困る人の力になりたい」
「故に理論と知識で武装した」
「本当の所は、心根に答えがある」

もう一つの転機は19で親父が死んでからだな。原因は「ガン」だ。

以降
「自分の人生は何故?」
「自分に何の因果がある?」
「何とか出来ないのか?」
「わたしは生きている意味があるのか?」

自問自答、言い換えて
「自分独りぼっちの戦争」
で、戦い続けてきたんだわね。
「勝って、裕になる」のルーツの元に。

○どうやって乗り越えた?
結論から言う。
「二次元(ゲーム)」
「占いと呼ばれるもの、とにかくたくさん」
「もう一人の表に出さない自分」
「福祉業界の世界」

まず切っても切れない所が「ゲーム」
19歳の時に、お友達になった人用に
「わたしとゲーム人生」という自伝を書いていた。
ゲームの出会いから、将来のあり方まで。

最後の言葉だけは克明に覚えているし
ここにも上げておくわね。
「わたしは一生ゲームバカで生きるでしょう」
本当にその通りになった。と回想する。

事実、ゲームでセラピーをやったり。
ゲームでクライアントの心根を観たり。
まさか「ゲームがココまで生きる」とは思ってもいなかっただろう。23歳のわたしへ。

これもゲーム史だけで、今なら1冊の本を書き上げられるし。
一生の最後に、自分のゲーム史。
「ゲームに生きて、ゲームに死んだわたし」
というタイトルで本を残そうかしら?

まぁ何歳まで生きるか分からない。
なので生きている内に、せいぜい書いておきたい。未完成交響曲みたいな感でいいだろうと考えている。

次。占い。
自分が知っている物事だけで上げるなら

統計学や命占の類で
「西洋占星術」「東洋占星術」
「四柱(五柱)推命」「易学」「万象学」
「六星占術」「姓名判断」
「13の月の暦」
カードや卜占の類で行くか
「タロット」「オラクル」「ルーン」

相占の類だと
「人相学」「手相学」

知識的なもの
「介護福祉士の国家資格がとれるだけの身体知識」
「日本で言うカイロプラクティックと呼ばれる整体術、中級と言われるクラス」

学校は専門学校の、福祉心理学科
という所を出ているが…
心理学の先生曰く
「大学の僕のクラスで教えている内容と同じ内容を勉強しているから自信持って」
と言われるレベルの、心理学。

安岡正篤先生の「人間学」

理由?
「自分を知るため」
「自分の腕、知識で食べていくため」
だった。

今でこそ、言える内容は
「自分の原因を追い続けている間は
物事は解決に向かわない」という事実。

「自分自身への納得と自己陶酔」に帰結する。
わたしの場合。というのが結論。

じゃあどうするか?
「自分自身が本当になりたい姿とは何か?」
「その為にしていること」
「自分の心に素直であること」
これが、乗り越えるためのキーになっている。

サクラダファミリアのように、ずーっとこの分野はクライアントと向き合って。
自分史を振り返って。
熟成させていくもんだと、考えているわね。

だから真の結論が出るのは一生の最後かもしれない。
故に「今を、楽しむ」に繋がる。
今出来ることを今、やらなかったら
「一生の後悔になることとは何か?」
これが答えなんだろうね。

考え続けることが仕事。
今も目下、解決してきた内容もあれば
未だに継続している問題もある。
もっともクライアントには「自分次第」と答えている。

答えを探そうとしなければたどり着けないけど
答えを探し続けている間は、答えが出ない。

わたしは答えの出ない質問を追いかけることは得意だけど。
成長過程の段階で「屁理屈」と言われて跳ね飛ばされた経験を持ち合わせますわね。

それでも「自分自身の屁理屈を信じ続けた」
曲がったかもしれないけど「終わり」にはしていない。

今の所37年の一生を生きて。わたしなりに見た事実
「真実の中には答えは無いかもしれない。
ただし、ウソと分かっている中には答えは絶対に含まれない」

もう一つ。
「ウソもつき続ければ、真実になっていく。
ただし、ウソが崩れる時は一生墓場まで持っていく決意をしていてもバレた時はたったの1分で崩れる」

○カツコ道としてどうありたいか?
「独りで悩み続ける人に光明を」
「独りで考え続けたい人に時間を」
「誰もが自由である事を知っていること」

「身体的課題を蔑ろにして人生は開かれない」「精神的課題にウソをついて人生は生きられない」
「知識的課題は一度知った事実を元に戻せない」

それらを伝えること。
人として共存共栄していく事で
一生を生きていきたいと思いますわね。

自分が考え続けることで
人のアタマの中を楽にできたら。
考えることを手放して、感覚を目覚めさせたら楽に生きられること。

それぞれを世界のスタンダードにできたら
ぜーったいに世の中楽になると思うよ。

そう信じるし。人に言うと書いて「信」だ。
確かなことを人に言うと「確信」
自分の事を人に言うから「自信」

そ、言靈の威力ってやつ。

カツコ道の話でした。

最後に…
わたしにはわたしの道があり。
読者の皆さん1人1人にそれぞれの道がある。

同じルートにいる人は共に歩もう。
違う道を進む人は、違う道をわたしも信じる。
そして、わたしはわたしの道を進み続ける。

「信じることが、わたしの進むべき道」

大鳳 カツコ

わたしがカツコと名乗るようになったのは
「勝ち」「負け」の世界を超える
「つなぐ」
「個としてより良く生きる」

(個も、自力(能力)場力(環境)時間力(タイミング)が合って活きる)
その伝道師である事を願って、自分で名乗り始めたことが始まりです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?