「観客」としての欠点

映画や本の楽しみ方にはいろんな種類がある。そのなかでも「共感」「感情移入」「没入」といった自分の心を対象に寄せていく方法は、上手くいったときの破壊力がバツグンだ。心をわしづかみにされて、しこたま揉まれる。気づいたときには普段の生活では発生しない、感情の渦にのみこまれている。

しかしこの心を寄せていく方法には問題もある。自分が体験したことのない感覚や感情の動きにはついていきづらいのだ。例えばぼくは虫を食べたことがないから、「虫を食べておいしい!」という人をテレビで見ても、どうしても、「うわあ、おいしそう!」とはなれない。もちろんそれはそれで違う見方をすれば、おもしろいのだけれど。

ぼくは恋愛をほとんど経験したことがないに等しい。これは世のコンテンツを楽しむ「お客さん」としてのぼくの、致命的な欠点だ。「恋愛」でわき起こる気持ちがいまいちピンとこなくて、「恋愛」を描くコンテンツはどうしても距離を取って見つめてしまう。「片思い」や「モテない人間が繋がれるまで」の物語はかろうじて心が引っ張られるけれど。

アレ丸出しで冷笑されてしまうかもしれないけど、ぼくは「恋愛」ってこの上ないくらい素晴らしいものだと思ってる(想像している)。そこに心を寄せていけない自分が歯がゆくてたまらない。22歳、いろんなものを抜きにして頭を埋め尽くされてしまうような恋愛をするには、もう遅い気がしてならない。自業自得だけれど、このまま、「恋愛」の内情が何もわからないまま、年を取っていくのだろうか。なぜか悲しくて、未来におびえる。

「ラ・ラ・ランド」を見たあとの帰り道、映画と関係ないことで泣きそうになった。大人になったら、悩みが少なくなるって、本当なのか。



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