2度目の『この世界の片隅に』

2度目の『この世界の片隅に』を見てきた。ずっと「もう一度」とは思っていたのだけれど、気づいたら1回目に見たときから2ヶ月以上経っていた。時間の流れは速い。

なぜ今日まで2度目を見に行けなかったのか。忙しかったからではない。なかなか覚悟を決められなかったのだ。『この世界の片隅に』はタイトル通り、僕にとって「あの」と相対化して捉えられない映画だった。「この世界の片隅」が、「この世界の片隅に」生きる人たちが、映画を見るうち、いつの間にか自分のなかで確実に存在していた。そして「片隅」は全部尊く大切で、広がり続ける。自分の身体中が埋め尽くされて、いっぱいいっぱいになった。初めて『この世界の片隅に』を見たとき、こんな感覚になり、かなり神経をすり減らされたのだ。

記憶に留めたい沢山のものが映画の中にある。もう一度見たい。ただあの「いっぱいいっぱい」の状態になるのがどうしても少し怖い。だからもう一度見にいく覚悟がすぐにはできなかった。

しかし1回目に見てからだいぶ期間が空き、今ならちゃんと向き合って見れそうだという感覚があり、今日、映画館にいってきた。結果、1回目より真に迫ってくるものがあり、いっぱいいっぱい、あっぷあっぷになり疲れ果てた。映画館の席を立って階段を降りるとき、世界が混じっていた。

帰り道、普段通りイヤホンで音楽を聴きながら歩く。でもなんだかどの音楽も入ってこなくて、途中で立ち止まり、イヤホンを外す。また、歩き始める。橋の上では、生活に帰る人たちの足音が響いていた。民家に挟まれた路地では、懐かしい夕食の匂いが立ち昇っていた。

今日は胃の調子が悪い。ずっと軽くキリキリ痛む。昨日、優しい家庭料理を食べたいと思ったのは、胃からの懸命なサインだったのだろうか……。

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