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大学最後の科目が「要件外科目」だった件。

目の前には春休みと就職の四月。

 2018年度。後期末定期試験。僕には必要単位が10単位残っていた。内、外国語科目が2科目。外国語科目で取得できるのは1単位でそれ以外は2単位。だから、僕は6科目の単位取得が必要だった。

 1月28日、月曜日。僕は大学で最後のテストとなるはずの科目の試験を受けていた。前に学校に来たのは10日前くらいだから、久しぶりの学校だったと同時にこれで終わりかもしれない通学だった。

 このテストを受け終わって僕は、この試験が単位取得可能な最低評価であるC評価を下回るD評価であることを確信していた。このように、「これは完全に落単だ」と、テストの出題をみた瞬間に判断するのは、勉強していない大学生にはありがちだが、この単位が取れなければ卒業できないとなれば、さすがに僕は焦った。

 しかし、大学側にも救済措置を用意しているところは多く、僕の大学にも再試験制度がある。これは、2月8日の成績発表後に再試験を教務課に申請すれば、もう一度期末試験を受けることができるという制度だ。

案の定のD評価。しかし...

 僕には、冬があければ就職が待っていた。卒業旅行と冠した温泉旅行では、友達は皆、就職が決まっていたから、僕はその流れに乗れたことに安心していた。

 むしろ、周りより意識高い系として自分で自分を位置付けていた。だから、これからキャリアをあゆむ上で、周りよりも自分は一歩先を行っているのだ、という自負が少なからずあった。


 僕は、テストを受けた6科目の内、単位を落としたと思っていたのは最後に受けたこの1科目だけだと思っていた。そして成績発表の日。案の定、その単位は「D評価」だった。

 再試験確定の際、申請のためには、大学にある教務課へ行く必要がある。密かにだが、もしや、自分でも知らずに、テストが思いの外できていて、単位は取得できているのではないのか? と思っていた僕は、「やはりな」と思って、成績の評価表を眺めていた。

 すると、何気なくその「D評価」の科目欄をみてみると、「要件外科目」の文字がある。その時から、体全体がきゅーっとなって、心臓の音がバクバクとなり始めた。

 「要件外科目」。この言葉の意味は知っていた。なぜなら、遡って9月中旬。2018年度後期の時間割を組む際、僕は一度、要件外の科目のみで履修してしまっていたからだ。履修科目変更時期ギリギリでこれに気づいた僕は、急いで科目の変更をしていた。


 そうだ。あの「要件外科目」だ。つまり、卒業必要単位に含まれないのだ。


「卒業、できないかもしれない。」



 まだベッドで寝転がっていた僕は、飛び上がって、学校に向かう準備をしながら、また冷静に考えてみた。実は、まだ再試験できる可能性のある科目が残っていた。それは運がいいのか悪いのか、卒業するために必要な単位数を満たした科目だった。

 しかし、この科目は「E評価」だった。再試験を受けるためには条件があって、「D評価」の科目でないと再試験はできない。大学のポータルサイトを端から端まで読むと、そんな注意事項があった。


諦めない。

 ここで、本来であれば、可能性は絶たれていた。しかし、足はすでに大学へと向かっていた。最寄りの駅へ行き、電車に乗る頃には、不安でいっぱいな自分に、勇気付ける理由を考えていた。何もしないで諦めることは、自分で壁を作っているようなものだ。

 ちょうどその心境、不安な心内をツイッターで呟いてみると、なんと数分で、フォロー外の方から励ましのリプライが届いた。こんな経験がなかったというか、この先どうなるかわからない心境をツイートすることがなかったし、それに心温まるリプライがつく経験がなかったものだから、余計に心にきた。

 心優しい方に思わぬ形で勇気付けられ、数少ない可能性にかけてみる気になった。大学の教務課にたどり着いた僕は、これまでの経緯を話してみた。

 万に一つでも、解決案があればそれに全力をかけてみたかった。


「なす術がありません」

 教務課の人は、実に丁寧に対応してくださった。できる限りの可能性を模索してくださって、僕の近況を聞き出し、よく把握してくださった。


「まず、これからできることを考えましょう。優先すべきことをしましょう。わからないこと、不安なことがあれば、いつでも聞きに来てください」


 本当に必要なことと、僕が冷静になれることだけをおっしゃってくださった教務課の方には、感謝しかありません。何しろ、必要単位が足りないこと、再試験が受けられないことは、全て僕の責任なのだから。


常連だったはずのお店が...

 教務課を後にした僕は、お腹が空いていたから、いつもの豚丼屋でご飯を食べようとした。ある程度のショックを受けていたから、いつもの味で落ち着きたかった。

 時間が悪かったのか、ランチのラストオーダーが終わった直後だった。なんともいえぬ寂しさで、僕は数分間、店前で立ち尽くしていた。

 自分は受け入れられていないのか?

ショックに紛れて、チャンスと希望がある

 僕のこれまでの人生を振り返ってみると、正直、レールに沿った人生しか送って来ていないと思っている。兄貴が通った地元の高校を出てから、なんとなくそんなにムズかしくもない大学へ行き、なんとなく就活を終わらせていた。

 そんな僕だから、「死ぬカス」とか「多動力」を読んだ時は衝撃を受けた。自由に生きることに憧れたのか、そのままの熱でオンラインサロンにも入った。

 オンラインサロンやSNS上には、とんでもない境遇の人たちが溢れかえっているように見えて、自分の気の赴くままにキャリアを歩んでいたり、人生を楽しんでいたりする姿をみて、非常に憧れたし、自分もそうなりたいと願った。でも、それは願っていただけだった。

 今回、内定を持っていたけれど、留年をすることになって、自分もほんの少しだけレールから逸れることができて、正直に言うと嬉しい部分がある。半ば強制的ではあるが、自分も、自分を真剣に考えやすい立場に身を置くことができた。もしかしたら、「多動力」に書かれているような激動な人生を歩むきっかけになるのではないか。そんな空想を考えることで、ショックを和らげていただけかもしれないが。

 ただ、チャンスと希望を持つことは、今こそ必要なことだと思う。経験したことのないことだけれど、周りから見たら大したことじゃないことかもしれないけれど、僕にとっては全く新しい一歩、新しいチャンスだ。埋もれることだけはしたくない。


 だから、これからの時間にはもっとリアリティを持つようにする。もっとアクションを起こす。自己検証をもっともっと行う。たくさんの人に会う。勉強をする。本を読む。...etc

 やりたいことはたくさんある。やるべきことはもっとある。負けないようにしたい。

 

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