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自分史〜たった2ヵ月

中学に入学し、部活も入り、
毎日片道50分かけて(せっかく買った制服は入学式しか着ていない)、朝練もあるから5時前には家を出て通う生活が始まり、ようやく新しい生活リズムが心地よくなってきたGW頃。父から引っ越しの話しがあった。
父の会社が地域分社化する事となり、
管理職以外は出身地の勤務となったのだ。

父が母が、私以上に落ち込んでいた記憶がある。初めて購入した家を手放さなくてはいけない事もあったかもしれない。祖父母との生活が落ち着いたからかもしれない。あとから気づいた事だが、両親は仙台の生活はあまり好きではなかったようだ。
私は気持ちは半々だった。
好きな剣道が、やっと吉田先生に教わっていた以来、真剣にやれる環境になれたにも関わらず離れなくてはいけない事、当時はちょうど校内暴力時代なので、入学から目立った私はかなりターゲットとされていた事もあり、そこから逃げれるかもという意識等。。。

学校には早々に話しをして、
6月に引っ越しをする事も決まり、
とにかく楽しむ事だけに専念した。

引っ越し当日。
祖父母は叔母が住んでいた事もあり、仙台に先に行ってもらい、トラックに荷物も全て載せた後、父親の車に乗る時だった。
中学で同じクラスになった鍬本君、
小学校時代に同級生だった亀井さん、
そして6年生の担任である
成島純一先生が家に来てくれた。

成島先生は何も言わずに
小学校時代に毎日、クラス皆で歌っていた時に
先生が演奏していたギターを私に渡した。
この時に、私は必ず教師になり、
成島先生のようになろうと考え、
ギターを抱きしめて助手席に乗り、
仙台に向かった。
#茨城県つくば市
#谷田部町
#成島純一

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