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自分史〜成島先生と家庭訪問

今はあまり少ないと聞いているが、
当時はクラス変えがあると
必ずある行事「家庭訪問」。
家庭訪問の日は、授業が午前で終わり。
約1週間かけて担任が全家庭をまわって、
様々な話しをした。

私は成島先生からの指名で、
この家庭訪問を全て同行(ただ隣に座っているだけ)する事になったのだった。

成島先生は、一度4年生の時に
一部の児童の担任をしている事から全家庭をまわる必要はなかったが、全て伺った。

私もバス通だったが、
クラスの1/3程度はバス通という学区。
大変だっただろうなぁ。
団地住まい、大きな農家、病院など
様々な家に一緒に伺った。
私は助手席から基本は動かなかったが、
一部のお母さんからは、
「中澤君も一緒に!」と言われて、
先生の隣に座って、お菓子を食べていた。

私の家でも同様だったが、
成島先生の家庭訪問は、一種の宣言だった。

「私は悪いと思う事は、手を挙げます」
「出来ないと考える事は、子どもの可能性を遮断させることになる為、何事も出来るまで努力をさせますし、その努力した経験が将来の役に立ちますので、帰りが遅くなることもあります」
「毎日子どもと交換日記をします。親子でも必ず学校の出来事を、毎日会話して下さい」
「毎週、学校の出来事を学級通信として作ります。親御さんにも時々書いて頂くので、断らないで下さい」、、等。

私の家では、
母が左利きを気にしている話しをすると。
「給食を右手で食べさせます」と宣言。
※しかし、私は右手なら食べないと2週間ほど給食を食べるのをボイコットした為に、先生が断念しましたが。。

車の中では、
当時はあまり語ってはいけないのかもしれないが、友達の家庭事情や、目に見えない障害を持っている事など、私に言ってよいのか?と思いながらも、話しをしてくれた。

1週間の午後だけの成島先生とのドライブ。
これも、私のこれからの学校生活においての大切な出来事のひとつとなった。

#成島純一
#茨城県つくば市
#谷田部町
#谷田部小学校

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