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心書Vol.0014〜間違える〜make a mistake

今日、「仕事に厳しく、人に優しく」という言葉に触れました。それについて。

帰宅後、あまり活用されていない我が家のホワイトボードに、新しい書き込みを見つけました。

今年の4月に小学生になる末っ子が、ひらがなの練習を頑張っていたようです。

いままで見たことのない「あ」の間違いかた(すごく惜しい!)を微笑ましく思いながら、

「小さい頃は、『間違い』って、微笑ましくて、人の心を和ませたり、優しい気持ちにさせたり、応援したい気持ちにさせるのに、いつから「怒られること」「悪いこと」「人の気持ちを苛立たせるもの」になってしまうんだろう」

とふと疑問に思いました。

歳を重ねるにつれて、勉強、テスト、仕事、、、いろいろ「本業」は変わりますが、だんだんと「間違い」が許されにくくなっていくような気がします。

しかし人間たるもの、「間違い」をゼロにするのは難しく、また、「間違い」がゼロの人間に対しては「気味の悪さ」を覚えるような気がします。それこそ「人間味がない」とか形容したりして。

他人のも、自分のも、「間違い」に対して寛容になろう。

問題はその後だ。

世の中、絶対に許されない「間違い」のほうが、きっと少ない。

仕事では「起こしてはいけない間違いと戦う職業」もあると思います(医療、操縦、運転、等)。 それは、そのプレッシャーに見合う報酬で応える世界であってほしいですが(ちょっと話がそれた)、「間違い」の事後対応について「どんとこい」という気構えでいることで、「間違い」や間違いを起こしてしまう「人」に対して、もっと優しくいられるんじゃないかな、と思います。


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