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農家の数が減っているのは、問題か?

農家の数は減り続けていて、だから日本の農業や食糧生産が心配だ、という話も聞きますが。僕は、農家の数はむしろ減るべきだと思っていまして。というのは、そもそも、技術が発展しているのだから、農家の数が減るのは当たり前なんですよ。手で田植えをしていた時と、田植え機の田植えだったら、生産効率が何十倍も違うのですから、同じ仕事をするのに必要な人数は、減るでしょう。生産効率が上がれば、その業における従事者は減るんです。

日本は、小さな農家が多い、というか、ほとんどなので、平均年齢にも意味が無い。じゃあ、何に意味があるかというと、トータルの生産量です。これは、増えた方が良い。でも、米も減っているわけです。それは、よろしく無い。農家が減るのは良いけど、生産量が減るのは良く無い。つまり、生産効率を上げるべき、ということです。一農家あたりの面積も、どんどん増えていくべきだと思う。

食糧危機への対策からか、農業の転換を強制的にするような法改正がなされるかもしれない、というニュース、ま、これも意味無いです。っていうか、強制的に生産させるより、もう単純に、米を普段から買い取ればいいだけなんですよ。で、余った米は世界の飢饉が起きているところに、平時は、寄付したり売ったりすれば良いだけです。当然、赤字になりますけど、それは食糧安全保障の経費ですから。自衛隊に対して赤字じゃん、とか言わないでしょう。農業も同じことです。食糧安全保障を目指せば、赤字になるに決まっている。

このね、公共的なものに対しての赤字・黒字という、全く正しく無いんですけど、そういう思考が存在するわけです。大きく言えば国、小さく言えば自治体でも、民間のような「経営」を求める、という。もちろん、無駄に使うのは、いけませんよ。でも公共的なものというのは、利益が出ないものでしょう。教育とか福祉とか警察とか公共事業とか。で、農業も本当は、その一つであって、経営体という考え方自体がちょっと違うよなと思うわけです。そういう農業も合って良いけど、全部がそうなわけでは無い。

米なんて、食糧安全保障はもちろん、文化的な意味も、治水の意味も、また山間部に人が住むことにより自然界(動物)との緩衝帯になるという意味もある。結構、公務員的な役割だと思いますよ。だったら一番良いのは、できた分だけ買い取ること。そうしたら新規参入も来て、生産効率は上がりますから、農家の数は減り、生産量は上がる。緊急事態に対する法的整備とかじゃなくて、お金で買い取るようにしちゃうのが一番楽だし、そうしたら、米を作る人も増えると思います。はい。またあした。

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