「ひまわり」で思い出した『なかよし』の付録のこと

小学生の頃、少女漫画雑誌『なかよし』を購入していました。私が小学生っていったら昭和ですよ。昭和50年代。最初に購入したのは幼稚園の年長さんくらいの時だと思いますけど、「キャンディ・キャンディ」が連載中で、最終ページが「戦争に参戦」みたいな号外の新聞が舞う感じのコマでした(記憶によれば)。

それで、なんで『なかよし』を思い出したかというと、ちょっと長くなるのですが。勤務先の共同研究室で先週末ひまわりが活けられていたのですね。そして金曜日、土日をはさんでエアコンの無い部屋に置いておいたら枯れてしまうと思って、メンバーの同意を得て私が家に持ち帰ったのです。食卓に飾られた6本のひまわり、週末の我が家を明るくしてくれました。

ただ、もちろん生花なのでだんだんしおれてきます。そして、ちょっと枯れかかったひまわりをぼうっと眺めていたら、頭の中に「ドライフラワーのひまわり」というフレーズがよぎりました。

ドライフラワーのひまわり

それは、私が少女の頃に愛読してた、『なかよし』の付録にあったイラスト付きのミニ詩集のようなものの中にあった一節でした。こういう、どうでもいいことって本当にいつまでも覚えているものですよね(苦笑)。

その詩集にあったポエム、これまたいい加減な記憶なんですが、キャンディ・キャンディの原作者の水木杏子(名木田恵子)先生の作品だったのではないかと思われます。作品じたいは短いものなのですが、すべて体言止めで終わってました。「ドライフラワーのひまわり」の他は「飲みかけたレモネード」みたいな(飲みかけたレモネード、は私の創作です)。

それで、「ドライフラワーのひまわり」の他に覚えているフレーズが

「もう会えないと耳元でささやいた声」なんですよ……(笑 書き写しながら恥ずかしいです)。つまり、晩夏の頃の恋の終わりをうたった詩だったのですよね。この詩に合わせて、『なかよし』に当時連載を持っていた漫画家さんのどなたかのイラストが添えられていた……と記憶しております。

『なかよし』の付録、いろいろありましたけど、インターネットが無かった時代の佐世保という閉鎖的な地方都市に育った自分にとっては、色々な新しい「外来の文化」を教えてくれるメディアでもありました。「ハロウィン」は、よく覚えているのですが、最初に接したのは付録の「あさぎり夕」先生のイラストのポスターでした。「万聖節前夜」って書いてあって、ジャックオランタンとか扮装した子どもたちとか描き込まれていたと思います。昭和の小学生にとってはそれが何を指すのかは謎でしたが。ハロウィン、今ではあたかも昔から日本に存在していた行事みたいな顔をしておりますが、昭和の時代は全然一般的ではありませんでしたよね。

付録で学んだシリーズとしては、「ポプリ」とか。いま、ポプリって聞かなくなりましたね……。エッセンシャルオイルが簡単に入手できない時代だったからバラとかラベンダーとか、花を乾燥させるしかなかったのか……。クレープ、も『なかよし』で最初に学びました。こちらは付録ではなくて、パリを舞台にした何かの作品に出て来てました(神奈幸子先生?)【追記:たぶん、原ちえこ先生です。1980年に『魅せられてパリ』という単行本を出しておられました)。

何かの香りを嗅いだら過去の記憶が蘇る……という話はよく聞くのですが、「枯れ始めたひまわり」で『なかよし』の付録、それもイラスト付きのポエムのことを思い出すとは思いませんでした。そして、私の頭の中では「ドライフラワーのひまわり」と「もう会えないと耳元でささやいた声」はセットになって保存されております。

[追記]これを書くためにWikipediaでキャンディ・キャンディの項目を確認したのですが、水木先生といがらしゆみこ先生の著作権争いの話がなかなか凄いことになってました。おそらくwikiの書き手は水木先生サイドの方と思われますが、著作権について知ることは研究者にとっても大切なことなので勉強になりました。

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