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「お酒ば入れたら、鍋を動かさんとよ。そしたら、苦うならん」

数年前に亡くなった叔父の言葉。

私の実家は、私が生まれた頃は三世代同居で、祖父母・私の両親・私、そして父の弟(叔父)と妹(叔母)の7人家族だった。叔母は私が小学校に上がる前に嫁いでいってしまったが、叔父は私が中学生になる頃までずっと同居していた。

この叔父さん、うちの両親からの評価はそれほど高くないものの、私にはいろいろなことを教えてくれる面白いひとだった。私が育ったのは1970年代の九州であるが、「タモリ」という面白い人がいることも、あのねのねの「赤とんぼ」という歌も少年ジャンプという漫画雑誌もすべて叔父経由で知った。風邪をひいて学校を休んでいるとき、星新一の文庫本を差し入れてくれたのも彼だった。

さて、両親とこの叔父は一緒に飲食店を経営していて、夕飯はいわゆる「まかない」のご飯で、誰かが作ってみんなで一緒に食べていた。叔父も調理師免許を持っていて、時々彼の作る食事が出された。

ある時、その夕飯作りを手伝っていた時。叔父が煮物に酒を投入して、そして言った。

「酒ば入れたら、鍋を動かさんとよ。そしたら、苦うならん」。

それは、酒を入れる料理におけるちょっとしたコツのようなものである。このルールを破って、酒を投入した後に鍋をゆすろうものなら、その料理には苦味が出てしまうらしい。子どもだった私は、へぇ、と思った。

高校に進学し、勉強のために夕飯作りの手伝いは免除となった。叔父のこの教えを思い出したのは、大学に進学して一人暮らしを始め、自分自身で煮物を作りだす頃である。私は叔父に習ったとおりに、料理にお酒を投入したら決して揺すらず、ある程度お酒が飛んでから動かすということを守った。

さて、月日は経って。叔父は、もうこの世にはいない。1人暮らしのまま、ひっそりとこの世を去った。後には何も残らなかった。彼のきょうだいたちが彼を見送り、私も葬儀の列に加わった。

だが、今も煮物を家で作るたびに、そして日本酒を途中で投入するたびにあの日の叔父の言葉が蘇るのである。「お酒ば入れたら、鍋を動かさんとよ」と。

伯父は何も残さなかった、と前に書いたがそれは物質的なものについてであって、料理におけるそうしたちょっとしたコツのようなこととか、私がハナモゲラ語時代のタモリさんを知っていることとか、その後星新一のショートショートに親しむ中学生時代を送ったこととか。実は、伯父によって見えない財産をいろいとと受け継いでいたことを時折感じることがある。

ジャック・タチという監督の映画に「ぼくの伯父さん」という名作があるが、あそこに出てくる「おじさん」のように、独り身で飄々としていて、そして自由な私の叔父さん。姪っ子である私は彼の言いつけをきっちり守って、料理に日本酒を投入したら決して鍋をゆすらないのである。(了)



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