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荻窪高校演劇部の荻高祭公演2ステージが終わりました。……が。

先週の土曜日、僕がコーチを務める荻窪高校演劇部の、文化祭(荻高祭)公演2ステージが終わりました。

以前から何度か書いてきていますが、「三部制(午前・午後・夜)」の荻窪高校の場合、部活は2部と3部の間の1時間しか練習時間が取れず、しかもそれが週に2回だけ、という、全日制の演劇部と比べたら圧倒的不利な環境にあります。

ですので、身体訓練や発声練習などほぼやる余裕はなく、いきなり自己紹介の練習をしたりインタビューをしたりして部員のキャラクターを掴み、みんながやりやすい役、しゃべりやすいセリフを僕が当て書きした台本の練習に突入する、という感じ。

僕がコーチに就任した2021年はコロナのため荻高祭は中止。翌年は僕が直前でコロナに感染して不参加。去年は前日に「辞める」と言い出した部員がいたため中止。

そんな感じですので、今回も荻高祭前日まで上演の可能性は五分五分でした。

しかし今回は、当日朝になって、「朝は絶対起きられない」と断言していた部員が時間通りに登場したことで、俄然開催の可能性が高まりました。

最後の不安材料は、1回目が12時開演なのに11:30まで別団体のステージに出演してるヤツがいる、ということ。しかしなんと、無事に11:40に到着して、開演できることが確定しました。

というわけで、僕のコーチ就任後4年目にして初めての荻高祭参加となりました。

11月の「定時制通信制都立高校芸術祭」にはこれまで3年連続出場してきましたが、学校の友達や先生方に見ていただけるのが初めて、ということです。

開場は10分前。場内整理は僕と顧問の先生。
お客さんは30人くらいかなぁ、と思っていたのに50人以上の方々が詰めかけてくださり、ステージから見たら満席みたいな状況でした。部員の担任の先生や家族や友人だけではなく、おそらくは近所の住民の方々もかなりいらしてくださっていた模様。想像を遥かに超えた場内の盛り上がり。

演劇部には、去年から知的障がいを持った生徒が一人いて、去年はなんとかセリフをしゃべってもらおうと努力した結果、直前になって集中が途切れるようになり、定通芸術祭本番では僕が黒子の衣裳を着て台本を持って隣で指示を出す、という掟破りなことをしてしまいました。

が、今年は彼のナチュラルな笑顔をお見せするにはどうすればいいか、ということを主目標に、春から彼とコミュニケーションを取ることに重点を置いて練習。「言葉が伝わらなくても気持ちは伝わる」と部員たちに何度も言い聞かせて、チャレンジしてきました。

結果、12時開演の回は最も頼りになるはずだった部員が、客席があまりに満席だったのに動揺してセリフが飛び、無音の時間ができる結果に。当然、僕がプロンプトしてあげてもよかったのですが、逆に「これはいい経験だ」と思い、いじわるではなく、彼らだけで乗り越えることを体験してもらおう、と決め、黙っていました。

なんとか持ち直して芝居は続行。ラストシーンに最大の関門が待っていたのですが、無事クリア。大きな拍手をいただくことができました。

脚本には、部員たちから入手した、荻窪高校関係者向けの内輪ネタが満載してあり、それがことごとく当たって笑いを取れたのも奏功したかと思います。

2ステージ目は14時開演なので、みんなそれぞれのクラスの展示に行ったり、自由時間を過ごしました。

僕は、OBの男の子と「朝無理」の男子を連れて近所の「らーめん高尾」へ。

そして14時の回は13時半集合だったのですが、一人戻らず。
保健室から「発熱してる」という連絡が……!!
万事休すか、と思っていたのですが、僕が代役してでもやるか、と覚悟を決めて開場。「えー、実はまだ一人、出演者が戻ってきておりません」と伝えると、どよめく客席。「まぁ、それもナマの演劇ならではのことですので……」などと言い訳しつつ、時間を引き伸ばしました。

すると、まもなく開演、という時間になって、彼は戻ってきました。そしてそのまますんなりとステージに向かいました。

今回、障がいがある生徒のために、開演5分前から他の生徒とホワイトボードにいたずら書きをして遊ぶ、という時間を設けました。そうすることによって、彼の中に「楽しい」を蓄積して開演に結びつけよう、という画策でした。これは本当に正解だったと思います。

そして開演。
するとなんと、照明と音響を担当していた僕が、芝居を見るのに集中しすぎて効果音を出しそびれる、という凡ミス!!しかし部長がフォローしてくれて続行。

終演すると、1回目より大きな拍手。
拍手が鳴り止まないので、照明を明るくして音楽を下げ、呆然としている部長に「部長、なんかしゃべれ!!」と声をかけると、話し始めました。

そうなんです、「アンコール」なんて想定していませんでしたから何も決めていませんでしたし、彼らもそういうものがあるということを知らなかったのです。

終演後、客席と舞台はごっちゃごちゃ。家族や友達や先生方に囲まれ、みんな素敵な笑顔。僕も、地元の方に捕まって、どんなに良かったかを滔々と聞かされ続け、さらに障がいがある生徒の担任の先生からも熱く感想を賜り、ボロ泣きされてしまいました。

その後、一人一人のご家族ともご挨拶をしました。他校の演劇部に在籍している、という部員のお姉さんからは「こんな、日常から始まる演劇は見たことないです」と。そりゃそうでしょう、他の演劇部の先生方は「新劇」出身の方が多いのでしょうが、僕は「なんにもないからなんでもできる」がモットーの「小劇場演劇」出身ですので。

知的障がいがある生徒、中国から帰国後5年なのでまだ日本語が流暢ではない生徒、朝起きられないためその結果不登校に近い状況になってる生徒、など、一般的な演劇の人たちから見たら「制約」と感じるかもしれない状況を「題材」にして、やってる側も観ている側も、みんなが楽しい舞台を作ることに、おそらく成功したのではないか、と思います。

その後、みんなで機材を片付け、視聴覚室を現状復帰して、解散しました。

翌日わかったことですが、荻高祭大賞の発表で、演劇部が「審査員特別賞」を受賞したとのこと。おそらく先生方が決めているものだと思われますが、すごいご褒美をいただいてしまいました!!

・・・・・・・・・・・

翌日は、体育館で行われる校内生向けの発表会。僕も、照明のお手伝いで参加予定でしたが、土曜日の夜には文化祭用だった台本を11月の定時制通信制都立高校芸術祭向けに一気に書き直しました。

翌朝、喉が痛くて目が覚め、一応検温すると38度超え。先生方に連絡して、病欠することにいたしました。

突然の発熱、それが38度超え、という、あまり認めたくない状況にうろたえて、日曜日だったこともあり救急病院におもむくと……コロナ陽性でした……。

前日じゃなくてよかったぁ、と思うと共に、一緒にマスクを外してラーメンを食べた二人を濃厚接触者にしてしまった、など、不安も。

それにしても、一昨年自分が罹患したせいで荻高祭参加を断念させてしまった反省から、今年は、周りの人たちがどんどんマスクを外していく中、僕だけは食事中以外は徹底的にマスク着用、手洗い・うがいをしてきました。なので、あの店かあの店かあの店に感染者がいたんだな、とうっすら思い当たるところがあったりします。今後徹底するなら、外食も極力避ける方向ですね。

ただ、一昨年の罹患時は全く動けなくなっていたものが、今回はもちろん全身倦怠感と激しい喉の痛みと咳と頭痛はあるものの、動けないほどではありません。熱も、3日目には平熱へ。

ただし、お医者さんから「10日間自宅療養を」と言われまして。周囲に聞くと「5日間って言われた」という人が数人。僕がグループホームにも勤めている、という話をしたからなのか、と思っていたら、ホームの先輩からも「私もそう言ったけど5日間でいい、って言われた」と。医療機関によって解釈が違うのでしょうか……と思っていたのですが、罹患4日目にして理由がわかった気がします。

4日経っても、症状がおさまらないのです。これは、僕が糖尿病であることが原因と思われます。ケガや、ちょっとしたかきこわし傷の治りもとても遅いので、炎症の治癒も遅いのでしょう。僕の療養期間が長い理由はこっちですね。

一昨年は荻高祭直前での僕のコロナ罹患、去年は荻高祭前日での部員退部、と、不幸は荻高祭前に起きていたのが、今回は直後だった、というのが少しずつ運がこっちに向いてきた、と思うことにします。

……ようやく最後まで来ました。この文章を書くのに4日かかっています。

とにかく、今年の部員たちは、荻高祭公演の幕を開けられたこと、そしてお客さんからの熱い反応を体で感じられたこと、ミスはあってもラストシーンまでやり遂げられたこと、しかも2ステージも上演できたこと、など、ここ4年で初めての奇跡を体験してもらうことができました。これは、大きな自信に繋がったのではないかと思います。

さ、とっととコロナ治して練習練習!!

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