2024/07/03

アイデンティティだ、と思った。

髪を切った。20cmくらいは切った。
鏡でショートカットの自分を見る。髪が長い方がかわいかったと思う。
でも、しっくりきた。これだと思った。懐かしい。ずっと前からの私だ。

髪が長い方がかわいかった。これは本当だ。
縮毛矯正をかけたサラサラのロングヘアで、広がるスカートを履いてくるくるするとかわいかった。外に行っても、毛量の多い髪はよくなびいた。サラサラの黒髪ロングというだけで価値があった。
今思えば奇妙だ。

髪を伸ばしていたことに理由はない。元来ずっとショートカットだった。5年間この美容室に通っていたことを考えれば、記憶の正しさは証明できる。ショートカットは手間がかかる。男性がしょっちゅう髪を切らなければならないように、ショートカットもこまめに切らなければ維持できない。
それが引っ越してしまってから、できなくなった。この美容室にも来れなくなったし、ショートカットが上手い美容師も当てられなかった。
だから伸ばしていた。元々くせ毛だから縮毛矯正をかけた。伸ばすしかなかったから縮毛矯正をかけていた。

担当の人が外れて、アシスタントさんが来る。私の髪にカラー剤を塗りながら、こう言った。

「ショートカットにしたかったんですか?」

ああ、そうだよ。私はずっとこの2年間、そう思いながら、縮毛矯正をかけてサラサラのロングヘアを楽しんでいた。このサラサラのロングヘアが何か私に新しいことをもたらしてくれると思っていた。
そんなことはなかった。だってそれは他人が何か自分にもたらしてくれると思っていたに過ぎない。自分がロングヘアになったところで、自分が変わったわけじゃなかった。
強いて言えば、私が忙しくてこの美容室に来ることを諦めていた。そのためのロングヘアが、私に今の状況をもたらした。

外見に自分が規定されているような気がした。
それは切ってから初めて気づいた心情だった。

以前の同居人にも言われた。短いと男の子みたいなのだ。それはかわいい男の子とかではなくて、パンツを履いてキャップを被れば、普通にわからないレベルということだ。私も寝ぼけている時に、鏡に映った自分を見て、家に知らない男がいる、とドキッとしたことがある。そのくらい男の子だ。別にベリーショートというわけでもないのに不思議なのだ。ロングヘアの時は確かに綺麗で女性的な感じだったのに。

回りくどい話をしたが、簡単に説明すると、ロングヘアなのかショートヘアなのかだけで、男性からの目が全然違う。
サラサラのロングヘアなだけで異性だとロックオンされるあの感じ。ショートヘアなだけで男性の視界に入らないこの感じ。
前者に憧れていたのかもしれない。遊びたいと思っていた。それが楽しいと感じていたのか?

切ってしまってから思う。そんなのはアイデンティティでもなんでもない。惰性だ。
誰かが私に何かをもたらしてくれることはない。私は私の頑張りでしか何かを手に入れられない。
それはきっと恋愛もそうだ。パッと見でかわいいことには意味がない。そんなのが持続可能な人間関係をもたらしてくれる可能性なんて最初からなかった。

自分が一番好きな髪型にすべきだったのだ、最初から。手間がかかっても。

アイデンティティとは自分が自分であるという感覚そのものらしい。
ない襟足を触りながら思う。これが最初からの私なのだ。

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