2024/7/13

他人にとって価値があることが、自分にとって価値があるわけではない。
他人がわからないものでも、自分が価値があると思うことをやればいい。

「それやる意味ある?」みたいなことは美大時代を含め、耳にタコができるほど聞かされて来たことだ。その言葉に苦しめられたこともあったが、結局のところ、お前はお前が信じることをやればいい。それにしか収束しない。私は私で、お前はお前なのだから。

オタク考察みたいなことをちまちまと続けているが、わりと軽視されがちである。そもそもオタクに偏見がある陰湿なやつほどそうなのだが(←失礼すぎる)お前はお前で私は私なのだから、そもそもお前に評価される筋合いなどない。お前が負っている義務は勝手にお前が消化して、私が負っている義務は私が消化する。それ以上でもそれ以下でもない。

私はけっこう、作っている人たちのために考察や感想を書いている。ものを作るのはなんでも大変だ。当たり前だ。
ドラマでも演劇でもアニメでも朗読劇でも、もっと極端に言えば契約書を作るのも一つの会議資料を作るのも、底からかき混ぜて昔の人の資料を探し、問題点を洗い出し、先行研究のようなものがあれば目を通し見通しを立て、周りに相談しそこで初めて組み立て始められる。クリエイターと会社員の間にやっていることの差はない。本質的には差がないが、求められるアウトプットの質や形態が違う。どちらかの職を軽視してしまう人は、どこかで心の組み立てを決定的に躓いていると思う。

ただ、明確な違いがある。それは人間性だ。
極端な話、物作りに求められるのはクオリティと自分の持つ感性と動機の強さであり、仕事さえ完遂されれば他の人間性については目を瞑る面が多い。会社員については全く逆で、成果が上げられなくても人間性が良く最低限の仕事ができていることが望ましい。会社員で人間性が悪いと全てにおいて障壁になる。無論クリエイターも人当たりが求められるが、そういうのは最後の帳尻合わせ、つまり作品さえ良ければ何も言われない。ある意味「割り切り」で出来ている世界だとも思う。逆に社会人は作品ではなく「お金」で割り切りが行われている。

割り切れない時期もあった。そういう時期は誰にでもあると思うが、そういう時は必ずと言っていいほど周囲と衝突する。人間関係が悪くなる。
そういう時期を経て、これが割り切りか、と許せるようになる。まだそこまで到達していないのだろう人も、この歳になると見なくなる。割り切れない人は、皆自分が生きやすい場所に住み替えて暮らしている。そういう様子を、遠くからずっとただ見続けている。

とにかく成績を上げられる営業マンと、とにかく作る作品が素晴らしいクリエイターは私にとって同じだ。
成長した私は、昔より体の使い方が上手くなった。今の私は、都合よく目を閉じたり開いたりしている。


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