2024/08/26

ふーーーーーむ、となっている。

同人誌を出しているわけだけど、出すたびに5千円くらいは赤字なのだが(200円とか300円で売っているため)まあ別に、シャツ一枚分くらいで趣味をやっているだけで誰にも迷惑をかけていないし、いいと思っている。売れるとわかってから値上げすれば良いし。

で、迷惑をかけてるって、どのラインからなんだろう、と思っている。

正直、職場などでは他人に迷惑をかけても良いと思っているのだが←迷惑すぎる
これは、給与が定額だからである。Netflixで毎月100本映画を見ようが、1本だろうがサブスク代が変わらないのと同じで、会社員もどれだけ働こうが働かまいがもらえる給与は一定額だ。無論、信用度というのがあり最低限の仕事はこなすべきだが、それ以上のアウトプットを出すかは個人に委ねられており、それさえこなせば「他人への迷惑」はかけていないと言えるだろう。

少し話は変わるが、以前友人に話したことで自分でも覚えている話がある。
それは「金銭は絶対的な価値である」というものだ。例えば、上の職場の例で話した「信用度」というのは、見えない価値である。人によって価値観が違う。「ある程度の仕事」というのを、出社して机に座って退勤できれば御の字、と考える人から、諸事情で疲れていても楽はしないのが当然、と考える人まで色々だろう。

しかし金銭は違う。誰にとっても1円は1円だし、100万円は100万円である。だからこそ、お金を返す、返さないという問題は信用に直結するわけだ。なぜなら、誰にとっても等しい価値であることが明白だから。
職場で何かあったとしても(この人はゆるく働きたいのかもしれない)(この人は仕事を頑張りたいんだな)と思える。みんなそれぞれ仕事に対する熱量が違うからだ。
では金銭の価値は?お金持ちのとって100万円は端金だから、借りても返さなくてもいいことになるのだろうか。

この話、簡単に言うと「金を返さないのはヤバい」という話だ。
今月分の給与が支払われなかったとして、じゃあ来月分の給与のために働こうと思えるのか、と言うことだ。金を返さないというのは、次の支払いに対する信用をなくす行為である。家賃を払わない、カードの引き落としができない、立て替えてもらった金額を返さない、などなど。
「家賃払えないなら来月末までに出て行ってもらえますか?」「カード支払えないなら止めますね」「立替金返してもらってないので、次の支払いはこっちでは受け付けられないです」

社会は冷たそうに思えるが、ではその画面の向こう側で働いている人間の給与はどこから出ている?クレジットカードのお金を支払えない人がいたとして、会社はどこから給与を支払うべきなのだろうか。支払えない人は、自分以外の人間は働いてお金を稼いでいないとでも思っているのだろうか。

大学時代くらいまで、けっこうめちゃめちゃな金の使い方をしていたが、とにかく支払いが多くても、食べないとか買わないで帳尻を合わせていた。理由は、計算ができないからである。とにかく時間があって自由にお金を使えるうちに声優イベントにたくさん行きたかった。社会人になってからのことなど1ミリも考えていなかった。なぜなら計算ができないからである。
計算ができない末に編み出されたのが、使ってから考えるということだ。要するに、食べない買わないをすれば支払える。これで誰にも迷惑をかけていないし、お金を借りることもない。

今も完全にこれで生きている。絶対に良くはないのだが、他人に迷惑をかけて信用を失うことはない。結果的にたぶん、コミュニケーション能力がなくても助けてくれる人間が多くいる。害がないから、人の側にいることが許されている。頼んでも、頼んだ分を私から返すことが決定しているから頼まれてくれる。それはそれで、いいのかなと今は思う。

ある意味、お金は絶対的な価値であるがゆえに、そういう信頼関係の構築を簡単にこなせる代物であるとも思う。
毎月家賃を払う、それが5年10年と続く。ある日振り込まれていないことがわかる。きっと忘れてたんだな、と思う。
お金のやり取りだけでこれが簡単にできてしまう。これはお金は絶対的な価値を持っているがゆえだ。だからお金を返すという行為は大事で、できるかできないかで−100と+100くらいの差が生まれる。

生きるのは大変だが、いつも大事なのは「他人に借りたものを返す」くらいのことかもしれない。お金もそのツールの一つに過ぎない。

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