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ヒトとして。

「 それってヒトとしてどぉなの? 」

このようなイミシンのセリフを若い頃よく言われました。かなりヤバイヒトです。うそはつきたくない。だからといって正直なキモチをストレートに口にしてはいけないと学びました。

そうなんです。なんでも正直に言えばいいってもんじゃないのです。

やりたくないことをやりたくないと言ってはいけない。行きたくないのに行きたくないと言ってはいけない。言いたいことを言ってはいけない。興味ないことを興味ないと簡単に片づけてはいけないこともあるのです。人生にはそういう時もあるのです。

これって、あたりまえのことで、人々は普通に使い分けて生きているようです。

ワタシも年を重ねて少しは使い分けられるようになってきました。でも少し油断すると本音がポロリと出てしまうんだなぁぁ。

例えば、興味ないことをどこまで興味をもってると表現していいのか、線引きがむずかしい。

先日、残業している時。

同僚が結婚披露宴へ出席することになっていて「 来週写真を見せてあげるね。見たいでしょ? 」と言ったのですが、よく考えずについ、「 いや別に・・・。」とこたえてしまい、、、

「 え!? 」 「 え!? 」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

新しい仕事を引継ぎ中のためけっこう真剣に仕事をしていたので「 よく聞いてなかった。すんません。見たいです・・・。 」とあわてて言ってみたものの時すでに遅く。

「 ひどぉーいっ!!いつも大好きって言ってるのにつめたくないですかーーーーー!! 」と言われてしまいました。

確かに。。。でも、みなさんそんなに見たいものですか?結婚式とか披露宴とかだいたい同じじゃないですか?一番最高のきれい瞬間だとは思うけど、当たり前すぎる感想しか浮かばないと思うし、右へ倣えの感想でもかまわないものですか?気のきいたイキな感想を考えるのもしんどい。新婚旅行のスナップだったら景色もあるし動きもあるし表情も豊かだろうから素直に見てみたいし、感想もココロから出てくるんだけどなぁ。言葉って魔物だゎ。。

友人・親戚などなどの結婚式・披露宴の出席数は過去26回までは数えていたけど、途中からお通夜・お葬式の方が多くなってきてよく覚えてない。みんなそれぞれ工夫を凝らしてして個性的だったけど、今となっては衣装や料理など内容も全然覚えていないんだよね。唯一覚えているのはどの披露宴でも両親への手紙のコーナーで間違いなく泣いてること。なんなんだワタシ。

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そんな話をリモート飲み会でしたところ、友人3人が声を合わせて

「 それってヒトとしてどぉなの? 」と言いまして・・・。(これもうある意味、ワタシをいじる時の決まり文句になっているところもあるのですけど。)久しぶりに言われたけど、これってけっこうコタエルんですよ。ダメ人間の烙印を押されたかのように凹むのですよ。

そういう時はウソでも「 見たい!見たい! 」と言うものなのですね。よしっ!!来週ゼッタイに言います!先に言います!がんばりますよ。(がんばって言うものか?という自分をクローゼットに押し込んでね。)

梅雨明けした夏の朝、早起きして蓮の花を見に行きました。仏教では極楽浄土に咲く花とされています。毎年シーズン中に2、3回は見に行きます。調べてみると、【 泥の中から茎を伸ばして花を咲かせるハスの様子が、清らかに生きることの象徴としてたびたび登場します。このイメージは、仏教にも継承されていきます。仏教では、智清や慈悲の象徴とされ、死後の極楽浄土に咲く花として親しまれました。花言葉「清らかな心」という花言葉は、泥水を吸い上げながらも美しい花を咲かせることに由来します。「休養」は、午前中に咲いた花が午後には閉じてしまう様子を表したものです。 】

そっかぁ。それでなんだか神聖なというか敬虔なキモチになるんだなぁ。自分の中の自己中極まりない思考を戒めるよい時間になりました。(ということで・・・)

青々した田んぼも眩しい。夏到来。緊急事態宣言中、行動範囲を制限されてる中で何ができるのか?考え中。

いつもこだわりが強いと言われがち。自分ではそれほどでもないと思っていたんですけどね・・・。さて?