健全なロックは健全な肉体に宿るか?「ここにいるよ杉浦(ド真ん中ズン)」について

吉祥寺にWというライブハウスがある。ちなみに数日前に日記に書いた。

(↑別に今読まなくても大丈夫です。)

「ここにいるよ杉浦」擁するロックバンド「ド真ん中ズン」と知り合ったのはそのハコだった。たぶん2014年頃だ。

陰のない明るいロックだった。日陰ばかり見つめていた私にとって、日向の音楽に思えた。すぐに覚えられるメロディ。簡単なコード進行。歌のテーマは身近。わかりやすくて、楽しくて、人間くさい。器がデカイから観客を誰も取りこぼさない。モテというよりはどっちかというと非モテ。だけど、この音楽を嫌う人はいないだろう(いるとしたらそいつはよっぽど捻くれ者)

でもきっと本人たちはそんなこと考えてなくて、このバンドは「おぼえたてのロック」を大きな音でやりたいだけ。

ここにいるよ杉浦さんはズバリ「いい人」だ。ニコニコしてて、声がデカいし、よく笑う。「さゆゆー!久しぶりー!元気ー!?」といった感じで、語尾に全部「!」がつくような感じの元気な話し方をする。でもステージに立ったら、キリッとする。そのギャップが良い。

現在の杉浦さんの生業は、植木屋さんだ。植木屋というお仕事について詳しくは知らないが、高い木の上にのぼったり、チェーンソーを使って植え込みの木の形を整えたりしているイメージがある。つまりメチャクチャ肉体労働。
以前に1度杉浦さんのお仕事の手伝いをさせてもらったことがある。私は杉浦さんの補助で、建物の庭の草むしりをした。
帰りの軽トラで、バイト代を受け取った。
「ありがとうございます」
すると、杉浦さんはバイト代とは別でお財布から万札を抜き出した。
「はい!これ結婚祝いね!」(当時私は入籍後だった)
…なんてカッコイイんだ!!!これは私がなりたかった大人の姿だ。そう、杉浦さんは「大人」で「社会人」なのである。私とは年齢が2つくらいしか違わないのに、圧倒的にそのあたりの常識がちゃんとしている。
翌朝、筋肉痛になった。普段使わない足腰の筋肉が悲鳴を上げたのだった。なんて自分はザコなのだろう、と凹み、ふと
「もしかして杉浦さんって、昼間このハードな仕事を終えてから夜ライブハウスで歌ってるのか」
と思い至った。

健全な精神は健全な肉体に宿るという。杉浦さんは健全な肉体の主だ。そこに宿るのは、やはり健全なロックンロールなのだろうか。
でも、陰のない人間はいない。当然杉浦さんにも陰はあるんじゃないだろうか。

例えばこのMV(割と新しめの曲だ)歌い出しの言葉。

オレンジの光 俺ん家に差し込み
サリンジャーのハードカバー輝いてる

「ずっと最高だろ」/ド真ん中ズン

これって、杉浦さんの「陰」かな?と私は勘ぐった。と同時に「メッチャわかる」と思ってしまった。歌詞と同じ風景を見たわけでもないのに。「わかる」と思ってしまった。何が「わかった」のかは自分でもうまく説明できない。でも「陰」を感じた、このフレーズに。サリンジャーというチョイスが良いなあ。夕方、部屋でこのぼんやり風景を見ていたのかな。なんだか、日陰にばかりいた自分と、はじめて同じ目線の高さに来てくれた感じがしたのだ。

それでも、陰をチラつかせてでも、明るいほうへ、大丈夫なほうへ、最高のほうへ、いこうとする杉浦さんの音楽を私は尊敬するしかないわけです。

お互い、ずっと続けていけるといいよね。



杉浦さんにカバーをお願いしたのは「バスジャック」という曲。

(自分の動画を貼るのはちょっと恥ずかしいですが許してください)

この動画のナヨナヨの私は2016年のすがた。これのカバーをお願いするなら、もう杉浦さん以外考えられないと思った。そう、杉浦さんに歌ってもらうのはこの曲以外に考えられない。これしかなかった。これがいちばん観たい。

だって、ここにいるよ杉浦は絶対に絶対にバスジャックをしないから。

よろしくお願いします。

「解釈と上演」、ご予約はこちらから!まだお席に余裕ございます。

最高の夜になることをお約束します!!!!!!!!!!!!!!


次回予告:
3/1(水)更新
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