バイトの話

総合病院で電話交換のアルバイトを始めた。白状してしまえば、これが人生初のアルバイトで、大学4年生になるまで働いたことがなかった。お坊っちゃんやな、などとたまに言われることがあり、自分はその都度否定していたのだが、あながちズレた指摘ではなかったのだろう。お金を貰って働く、学生としてではなく、労働者として社会と接点を持たなければ見えてこないものがある。

鳴り止まない電話を朝から晩まで取り続けていると、今から怒鳴り込みに行くからな、とか、じゃあ死ねってことですか、などと八つ当たりをされることがある。抽象度に違いはあれど、人は誰しも幻想の中を生きている。個人が生きていく中で創り上げた、世界観と言い換えてもいいかもしれない。しかし、人々を取り巻く幻想の中心には現実という核があり、それはふとした瞬間にちらりと姿を現す。決して直視などしていない、というかできないはずなのに、その気配を感じ取ってしまうことがある。家族が事故や病気で死にかけている、なんてときは特に。自分の世界に一瞬だけ切れ目が入り、すぐにピッタリと閉じる。すると、そこはもう前とは全く別の何処かになってしまう。

ここが何処か分からない。お坊っちゃんとして育ったからか、実際に迷子になったことはないものの、その感覚は知っている。現実というのは理不尽すぎる。だから怒鳴られても、興味の無い身の上話を延々と聞かされても、しょうがないなと思う。そしてまた、交換台の上で、赤く点灯するボタンを押して電話を取る。

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