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明日のアー本公演vol.7『そして聖なる飲み会へ』

初日、12/10の夜公演。以下、感想を忘れないうちに覚書として。

パンフレット冒頭の挨拶文に「飲み会」「ノリ」という言葉があるように、終始ノリで笑った80分だった。今年7月のアーの演劇『一つきりの夜に』は観劇中ずっと頭をフル回転させながら見ていたのに、ラストでエモーショナルな地平に連れていかれた。一方、今回の公演は笑いながらも最後の最後では突き放されたような印象を受けた。

それは、本公演自体が飲み会の始めから終わりまでの流れをメタ的になぞっているような構成だったからかもしれない。その場でしか通じないノリやギャグが生まれたかと思うと、いつの間にかポリティカルな話題に入っていたり。ケチャの様に収拾のつかない熱狂も、翌日の朝には冷めた頭で後悔と共にパンをかじっている…。

舞台上で演出される「ノリ」には2種類あって、役者全員が共有するノリ、役者の一部しか共有していないノリ(その場合はその様子を観察する者達がいる)。下戸の僕は飲み会を客観的に観察しているようなところもあり(下戸はそれが嫌がられる)、最初の純粋培養した大学生を観察する科学者みたいなものかもしれない。本公演ではあえて抑えられていたようにも思うが、もう一つ「観客も含め会場全員で共有するノリ」もあって、その発露が大ネタがはまった時の「笑い」なのかもしれない。

観劇後に読んだ台本には大北さんの「技巧は諦めた」「正解は諦めた」「どうでもいい笑い」という言葉が並んでいたのが意外だった。「吊り天井」「ファーストテイク」「美味しんぼ」のように大きな笑いが起こる大ネタも沢山あったから。しかし考えてみるとそのどれもがネタの終わり際を敢えてズルズル伸ばしたり、もう一展開付け加えられたりで、(あそこで終わっとけば…)をやらない選択が大北さんの言う「正解は諦めた」なのかな?と思った。

ここは談志が松本人志を評した時に語っていた問題点を思い出す。

談志の回りくどい語り口のせいでファン以外は要点が掴みづらいが、恐らく彼はこんな事を言っている。

「松本人志は俺の”イリュージョン(これも分かり辛いが、要は言語を用いた対話の不完全さを敢えて前面化する)”と非常に近い感覚でやっている。そこは評価するし自分は松本という男を見誤ってた。ただ一つ彼のコントを見てると問題があって、その不完全な対話をどこでフィニッシュさせるか?ということ。どこまででも続けられちゃうものをどこで終わらせるのか?という問題」

この問題は談志自体も結局答えを見つけられなかったような気がして、晩年の高座はいつも(あそこで終わらせとけば…)という不完全さを纏っていたが、ファンにはそこがクセになってくるポイントでもあった。「綺麗に、粋に、ジャストで」終わらせる恥ずかしさや照れ、物足りなさを談志は抱えていた。勿論、『そして聖なる飲み会へ』においては、そのジャストで終わらない感じが飲み会的ノリを担保しているようにも感じたので、決してマイナスポイントではないのだが。

談志といえば大好きな噺の一つに『金玉医者』があった。

この奥深くも馬鹿馬鹿しい噺が古典落語の演目である事に驚嘆するのだが、『そして聖なる飲み会へ』において金玉は大きな問題になっていたことを観劇後に読んだ台本の解説で知った。

つまり、例えば「金玉」という単語を舞台上で女性(に限らずそれを嫌だと思う演者)に言わせることの暴力性をどう考えるか?というような問題。本作の稽古の過程では下ネタだけでなく障碍、ホームレスなどの扱いに関しても関係者の合議制を取ったそうで、「このセリフは言えない」といった意見も多々出たそうだ(その都度主催者の大北さんがどのような対応を取ったのかは台本に詳しい)。正直、観劇中になにか引っ掛かるものを感じた部分が幾つかあって、それらは劇団側でも稽古中に問題になった箇所であったと台本を読んで知った。今までは「とはいえ金玉について大真面目に議論するなんて行為自体、一歩引いたら馬鹿馬鹿しいよな」で済ませていた話だが、既にその論法は適切な落としどころではなくなっている。

ただ自分でもそのような箇所の何が引っ掛かったのかは分からなくて、昨今では「問題になりやすいセンシティブな問題だから問題に感じた」、もっと言えば本公演に出てくる”下町の住人を演じてしまう下町の住人”のように「センシティブな問題を問題だと感じる人を演じてしまう」節すらある。私個人は「行き過ぎたPCのせいでどんどん面白いことが出来なくなる」とは全く思っていない。むしろ「笑いや馬鹿馬鹿しさの暴力性が今後どのように捉えられていくのか?」を考え観察し続けていくことも、”面白い”の枠内にある行為だと捉えている。

今回覚書としてここに書いたことは全て蛇足といえるくらいストレートに笑ってしまう公演であったが、観劇後に帰りの電車で色々考え込んでしまうことも明日のアーを見る醍醐味かな?と思っている。次の公演も楽しみだ。

※追記
①本公演は通奏低音として「信仰」「信仰が生まれる瞬間」っていうのがあったな

②明日のアーの公演でよく見る「舞台上で行われていることを精神分析的に解説する」というくだり、そして冒頭の純粋培養した大学生のルック。なんとなくウディ・アレン味を感じました。


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