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現場って?

「現場で頑張ってる人達がいる。オリンピックへの賛否は置いといて、その人達の為にもせめて開会式は優しい目で見てあげよう」

そんな声を数多く目にした。圧倒的に正しい、優しい。でも、その正しさと優しさに絶望を覚える。

私は仕事の都合上、毎週1回豊洲市場に通っている。築地時代から数えるともう20年以上そんな生活を続けている。

選手村や各種競技会場にほど近い豊洲市場周辺は、五輪開催前から大規模な交通規制が行われている。上のニュースの画像、まさにこの場所の渋滞が酷くて、私はいつもより1時間早く家を出ている。五輪が終了するまではそれが続くだろう。これって地味に結構大変なんだ。

そんな誰からも相手にされない“現場”もある。国家的なイベントの前では、そんなのは誰かが言ったようにピアノの発表会みたいなどうでも良い現場なのだろう。

でも結果論になってしまうけど、今となってはそもそも市場の移転だって必要だったのかすら、疑問に感じられる。

老朽化した築地市場はなんらかの刷新が必要だったことは確か。築地での改修は予算の都合上無理だし、築地を空けなければいけない理由の一つには五輪もあると聞かされた。

でも今、一体どこから出したんだと思えるほどに五輪の予算は膨らみ、五輪も当初の想定とは大幅に変更された形での開催となる。築地、あの場所でリニューアルできたんじゃないか?

移転問題の頃、連日ワイドショーやニュースで侃侃諤諤の議論が交わされていた。築地場内も移転に賛成するか反対するかで、本来なかった壁が出来てしまったように思う。結果的に豊洲新市場は開場し、多くの人たちの“現場”が変化した。店を畳む決断をした人たちもたくさんいる。

現在、コロナ禍における豊洲市場がどんなことになっているのか、あの頃大騒ぎした中で気にしている人がどれくらいいるのだろう?

確かに競技場の中にも現場はある。福島の原発の後処理をする人たちの現場もある。我々の生活にも現場がある。大勢の人から正しく、優しく気にかけてもらえる現場と相手にもされない現場の線引きはどこにあるのか?

これからアスリートや関係者が猛暑の中頑張ろうって時に、我ながら冷や水浴びせる必要があるのかと葛藤もある。性格悪いな、とも。でも私は、道端に落ちてる片手袋に、目に見えぬ市井の人々の現場を感じ取るような人間なのである。

私の現場に大きな変化をもたらした五輪を見る気にはなれないけど、参加する選手や関係者の方々が無事に力を発揮できる現場になることを祈っています。

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