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おさしづの編纂、公刊について
『おさしづ』には、個人や教会などによって私的に編纂、出版されたものと、教会本部から公刊されたものがある。教会本部から公刊されたことによって、明治20年から明治40年までのおさしづのお言葉の全体に触れることができるようになった。
原典としての「おさしづ」公刊に際しては、一言半句たりとも親神様のお言葉以外の言葉が混じってはならず、教会本部にて保存されていた筆録保存されたものの検討には慎重を期されてい
明治二十六年六月十九日 平野トラ身上願②
『郡山大教会史』の他に、「平野トラ身上願」に関して触れている解説書を調べてみると、下記の資料が見られる。
①桝井孝四郎『おさしづ語り草 下』157・172頁
②深谷忠政編『教理研究 事情さとし』54頁
③高野友治『おさしづ物語』174頁
④澤井勇一『おさしづを読む』148頁
⑤安井幹夫『今日は晴天、今日は雨』192頁
①②③については、どれも青年を仕込むことについて解説してい
明治二十六年六月十九日 平野トラ身上願
さあ/\尋ねる事情/\、身上どういう事であろう。こんなもの尋ねるまで。心得んから尋ねる。尋ねば諭そ。日々という。遠く所より又年の寄らん者一寸や。若い者寄り来る処厄介、世界から見れば厄介。なれど道から厄介ではない。道から十分大切。道は遠かろが言わん。たすけ一条と言う。これ聞き分け。十のもので九つ半大切して、半分だけ出けん。十のものなら半の理で九つ半まで消す。よう聞き分け。喜ぶ者は少ない。成る事情いん
もっとみる「『おさしづ』の意義」を読む①
「『おさしづ』の意義」とは、中山正善・二代真柱様の著書『火水風 ー二代真柱教義講話集ー』に収められている一文である。「出版にあたって」(ⅱ頁)に、次のように説明されている。
「おさしづ」の意義 / 『おふでさき』と共に『おさしづ』が発刊され、その第一分冊が昭和二年十月二十六日に発行、以後順次発行されて、六年六月二十六日の第三十三分冊の発行をもって完成したが、この発刊に伴い、四年七月二十七日から三
天理教原典学特講Ⅲの講義ノートより
おさしづ(お指図) 広義:教祖を通しての親神の教示すべて(天保9年〜明治40年)※その内、明治20〜40年は本席・飯降伊蔵
教義:三原典の一つ(「おさしづ」「おさしづ本」)。明治20年1月4日〜40年6月9日にわたり、主に本席・飯 降伊蔵の口を通して啓示され、書き残された親神(教祖)のお言葉