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8/29 最後までミリオンラブを貫けた日

僕はこの日が来るまで、これほどまで「来るな」と願った日はありませんでした。

ミーグリのレポをすることに重点をおくブログにするつもりではないので、1~4部については割愛と言いますか、”最後の日に二人きりで楽しめた空間”として自分の胸の内で大切にしたいと思います。

さて、みり愛ちゃんと話す”最後”の機会が迫っていました。                           伝えたいことをありったけ伝える時間にするか、伝えたいことをそれなりに伝えて、最後はみり愛ちゃんからたくさんお言葉を頂くか。凄く迷っていました。迷いながら、”最後”を思って涙が止まりませんでした。僕は自分でもあきれてしまうほど優柔不断な人間です。”最後”を後悔したくないので仲良くさせて貰っている方からも意見を頂いたりもして、熟考の末、結果として前者を自分で選択しました。

前ブログにも記述しましたが、僕は5月の卒業を発表したあの日からその寂しさ故にSNSでもミーグリでも「おめでとう」も「ありがとう」も伝えられていませんでした。伝えられるのだろうか。伝えられたとして、「それが自分の本音である」と全てが終わった後に胸を張って言えるのだろうか。迫る受付のタイムリミットの中で僕は列に並ぶ勇気すらわかすことができませんでした。泣いて、泣いて、ただひたすら泣いて。「最後」、その言葉を口にするだけでその異常な重みを実感し、その時抱いた感情は、恐怖でした。                                当時はそれを”心臓”で表現していました。全てが終わるまで僕の心臓は誰かの手に掴まれていて、全てが終わった時その心臓はどうなるのだろう、と。恐怖という言葉で察せられるとは思いますが僕はあの時、「間違いなく全てが終わった時、心臓は握り潰される」って思っていたんです。                              時間は有限。でも怖い、怖すぎる。もうすぐ成人する人間のくせにと言っては何ですが、それはもう泣きじゃくってしまいました。

これだけ”並びたくなかった”ということを長々と説明しておきながら、覚悟を決めた瞬間は本当に不思議なのですが、一瞬でした。                     ふと、本当にふと、みり愛ちゃんのこと大好きだなぁって思ったんです。いつも僕のツイートとか見てくださっている方は「いつもじゃん」って思われるかもしれませんが、僕なりに表現するのであれば、”僕の中でずっと大事にしてきたミリオンラブが恐怖に打ち勝った”これを僕のあの不思議な瞬間の最適解であると導きます。        「ずっとずっとずっとずっと大好きです。行ってきます。」                       そうTwitterに言い残して一切躊躇せずにミーグリ5部、”最後”の受付を済ませました。

お気づきでしょうか?                                                 ふとしたタイミングで受付を済ませただけで根本的には何も解決していないんですよね。何を伝える?時間配分は?結局自分は「おめでとう」「ありがとう」って言う気あるの?                                        我に返った瞬間それはもう焦りました。と言ってもみり愛ちゃんと対面するまで推定1時間半あることは分かっていたので、落ち着いて、ゆっくりと考える時間を過ごそうと思いました。

こうしてみり愛ちゃんとの思い出を振り返ったりMVを見返したりしてるとまた涙が止まらなくなってしまいました。受付は済ませているわけですので恐らく運営スタッフさんにはあの情けない姿を見られていたことと思います。                                                    多岐にわたる思い出を振り返り、止まらない涙を流しながら気付いた結論は手紙を書くことでした。震える手で時間をいっぱい使い、何度か書き直して書いた手紙は自然と「おめでとう」「ありがとう」という字が書けました。残りの待ち時間はとめどなく溢れる涙を止めることに勤しみつつも、手紙を読む練習を繰り返しました。出番の直前でなんとか涙を抑えることができ、何度も見たお馴染みの3秒のカウントダウンが始まりました。

字数が中々なことになっていますので、実際の5部は添付リンクにて参照ください。と言ってもこのブログを読んでくださっている方は僕のレポ見てくださった方々だとは思いますが笑                                           https://twitter.com/katansikamiria/status/1431946629309878277?s=19

いざみり愛ちゃんにおめでとうを伝える時、「ずっと」の所で硬直して少し時間差が生まれたのを今でも覚えています。震える声で今にも泣きそうな顔をしていたと思います。みり愛ちゃんは相槌を打ちながら本当に優しい顔で聴いてくれました。手紙を読み終えた後はあまり時間が残っていないと思っていましたが、実際はありがたいことに結構時間が余る形となりました。以降はいつも通り、何もプランなど立てず、ただ自然と会話をしました。あの時最後に僕自身は「お時間です」の表示を見ながら「大好きです」「愛しています」を最後の言葉には選ばず「一生推しメンです。」と伝えてお別れをしました。なぜその言葉を選んだのかは分かりません。きっとあの時、あの瞬間、心の底からそう思ったのだと思います。

お別れを終えた後、既に湧いていたはずの実感にもう一段階上があったかのように熱いものが湧いてきてそれはもう、泣きまくりました。人生でこんなに泣くことがあるのだろうかと疑問に思うほど。それだけ僕の中で渡辺みり愛さんの存在は大きいもので、一生をかけて大事にしたいと思えるのです。

別れが辛くない訳ではありません。というよりむしろバリバリに辛いです。8/30も8/31も泣いて、泣いて、泣いて。それでも、ここまでスッキリとした気持ちでお別れができるとは思いませんでした。”心臓”は握り潰されるどころか、解放された次第でした。今まで支えてくださった方々には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。

さて、それでは最後に渡辺みり愛さんへ                                    一生推しメンです。

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