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友情は永遠じゃないからこそ




“女の友情はハムより薄い”


3年前のわたしはそう痛感していた。
理由は些細なことで女友人と揉め、疎遠になってしまったからだ。それはわたしの中で想定外かつ衝撃的な出来事だった。

その時までは“友情は一生もの”と信じて疑わなかった。

いや、よくよく考えるとそうでもなかったか。
中学の時に仲良くしてた友達は一部を除きほぼ疎遠だし、大学時代に出来た友人も、今もやり取りして会う仲なのは指折り数えるほどだし。

よっぽど気が合う友人以外は、いつの間にか自然消滅することがほとんどなので、あまり気に留めることもなかったが、、
大人になって衝突するのは初めてだったので、当時はかなり動揺した。

衝突といっても、相手に一方的に嫌われて、縁を切られてしまった感じ。
女性の間でありがちなのかもしれないけど、結婚のタイミングで生じた、いざこざといったところだろうか。
きっと彼女的に、その時のわたしの言動に気に入らないところがあったのだろう。

これまでの関係が崩れてしまったことに一時は落胆し、どうにかして繋ぎ止めたいと対話を試みたこともあったが、
相手の反応は悪く、状況的に不可抗力だと思っため、結局忘れることにした。

その経験を経て、わたしの中で冒頭にも述べた“女の友情はハムより薄い、いや生ハムより薄いかもしれない…説”が提唱されたのだった。

これから新たに出会う人とは、ほどほどな距離感を持って接していこう、なんて思っていた。



だが、新潟に来て数年で、その考えが変わりつつある。

なぜなら、わたし的に今後の人生でも深く関わっていきたいと思える友人に出会えたからだ。
ただでさえ、大人になってから友達を作ることは容易くないのに、何の縁もゆかりもない地で奇跡だと思う。(出会いのきっかけは推しのカレー屋さんが関わっているが、この話はまた今度)


そう思えるようになってきたタイミングで、夫の仕事の都合で来年の1月には新潟を去ることになってしまった。

いずれはそうなると分かっていたものの、突如タイムリミットが決まり、気持ちがついていかない。寂しい、嫌だ、離れたくない、、そんな想いが募るばかり。新潟に来た当初は、こんな気持ちになるなんて思ってもなかった。

わたしがずっと大切にしたい友人たちは何人かいるけど、これまでの転居経験上、その時一生ものだと思った友情が距離に負けてしまった事は多々あり(わたしが連絡不精のせいもある)、想定出来るからこそ切ない。

それに、これまで子供が産まれてから、なんとなく疎遠になった友人もちらほらいた。きっとわたしもこれから当分我が子優先になるだろう。

でも、大好きな友達には、なんとかして会いたい。会える時は限られているから。

人は成長過程や環境の変化によって、周りにいる人も変わるものだと思うけれど、そうじゃない関係もあると証明したいのかもしれない、わたしは。

ふと、ブラッシュアップライフというドラマを思い出す。あのドラマの結末のように、縁遠くなった友人ともまた一緒に笑って過ごせる世界線があるだろうか。
そんな日が来るといいな。



新潟生活もあと残り2ヶ月。とにかく今は大好きな人と会える時間を大切にしよう。

自分から連絡する。会いに行く。ちゃんと言葉にする。

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