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蓮を描く

水面、泥、葉、蓮花、、、予感の中で描いていく。
この事の連続がどうなるのか、さっぱり見当もつかないでいた時、レモンイエローの光が葉に射した瞬間、カーマインで花先に熱が帯びた瞬間、急に生命の予感がきて、予感という霧が晴れたかのよう。
それからはもう、どう描くのか?よりも、あの水に浮く蓮の葉のエネルギーや、泥水を吸い上げて、すくっと確実に一枚一枚花ひらく、柔らかくもほんのり厚みのある花びら、花と同時に実もつけている、この植物のエネルギーを体験しているかのようでした。

生きることって、予感の中で生きているようなものだなと。そのひとつひとつのタッチが全体に響いていく。予感の重なりで、カタチ作っていくこの力は人間にしかないなと。

実は末娘が蓮花という名を持つのです。娘の生まれたタイだと風景として見るというよりは、年中庭にある花で、これしかないと思い名付けたのですが、ものすごいエネルギーで(特に怒り、笑)蓮の生命力を、生きながらに体現しています(笑)
それぞれみなさんの蓮、いろんな所におじゃまして、のんびり眺めるかのように、その人の内側が蓮を通して光り輝くのを、驚きを持って見つめています。

いつもありがとうございます✨

こんな世界が立ち現れるとは‥
毎回驚く芸術療法のアプローチ


この子も、蓮そのもののエネルギー
たくさんの蓮の花が
わたしたちのなかには咲いている

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