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少女小説沼に落ちた話。

私が少女小説に出会ったのは他の人たちより遅かった。多くの人が出会うのは中高生くらいかと思うが、私が出会ったのは中高生を卒業した後だった。
出会いはもう今はない難波の書店。
私は小学生くらいまでは児童書を読んでいたが、中高生になり、勉強や部活が忙しくなると読むのが遅い私にとっては小説を読む時間を作れなくなった。そのうえ、どちらかというとファンタジーや、フィクションとわかる作品が好きで、普通の文庫にはそういうものが少ないイメージを持っていたこともあり、読みたい題材を探すことも、出会うこともできなくなり読むのをやめていた。
だが、何も創作物に触れていなかったわけではなく、アニメやドラマ、映画、とりわけ漫画はよく読んでいた。兄の影響でジャンプを読み始め、サンデーやマガジン、ガンガンといった少年漫画を中心に、だがそれだけでなく少女漫画も多く読んでいた。ただ、このころの少女漫画は花男のドラマヒットがあったころあたりだったこともあり、学園物、ドSまたは俺様ヒーローの作品が多く、ヒーロー側の心情もあまり描かれていない作品が多かった。
私は学園物も好きだが、ファンタジーが読みたくて、ドSや俺様は嫌いではないけど、好きでもなかった。そのころは自分の好きな作品がどういうものかも知らなかったのもあってどういうのが読みたいのかよくわかっていなかったが、あのときによく見たものじゃないものが読みたかった。
勉強や部活といったいろいろなことが一段落ついたころ、そのころまではあまり行ってなかったOCATの上にあった丸善に行った。本屋が好きで、いろんな本屋に行くことも趣味の一つのようなものだったので趣味の気持ちと、また新しい本屋の開拓の気持ちでもあった。それでも、専ら本屋でチェックするのは漫画コーナーで、他は簡単にという形が多く、その本屋でも同じように見ていた。だが、ぐるりと一周したときになぜかふと少女小説コーナーに目が行った。私はその当時まだラノベという言葉もあまり知らず、ライトノベルというものが何かもよくわかっていなかった。
そんなとき、平積みされていた『彩雲国物語』と、『伯爵と妖精』に出会った。



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『彩雲国物語』の名前はアニメ化されていたこともあり知っていた。視聴はしていなかったが興味を引かれた作品だったこともあり印象に残っていた。何気なく手に取り、それが小説の形が原作であることにびっくりした。アニメとはオリジナルか、漫画原作が主なものだと思っていたからだ。児童書でもないのに挿絵付きであるということ、またその絵のかわいさにさらにびっくりし、興味を持った。読む時間もできたし、読んでみようと思った。その横に置いてあった『伯爵と妖精』もイラストがきれいで、帯にアニメ化決定と書かれていたこともあり、ならと買ってみた。
先に言うと、私はこの時点では少女小説沼に落ちなかった。こういう世界もあるのだと新しい世界を知っただけで、当時の私らしく、毎月各シリーズ1冊ずつ買って少しずつ読んでいっていった。
新しい世界はなかなか面白く、何より私が求めていたファンタジー作品だったこと、俺様でもドSでもないヒーローたちであったこともあり、他の作品にも興味を持った。あのころの少女小説レーベルの多くはシュリンクなしで普通の文庫と同じように読むことができていたこともあり、本屋に行っては、どのような作品なのか簡単に読ませてもらっていた。

運命の出会いは、ジュンク堂大阪本店の今はなくなってしまった1階奥の少女小説コーナー。ジュンク堂の少女小説コーナーは大概、店の奥にありやすく、大体一番奥のBL棚の一つ前くらいに置いてある。私はこの奥まった感じにあるのが大好きなので、奥に行くほど人が少なくなっていく様子と含めて、奥に行くとわくわくする。
改装前のジュンク堂大阪本店も同じようにBL棚から一つ手前、全体的に見れば2つあった入り口のどちらからも一番奥に少女小説棚はあり、その日も見に行っていた。夏休みで時間もあった。私は平積みされていた一つのシリーズをパラパラと読んでいった。多彩な登場人物、国を巻き込む陰謀や、事情が描かれたその物語を大体の内容の把握だけでとどめ、読み進めていった9冊目。それはそのシリーズの新刊のようで、同じように簡単に読むだけのつもりだった。だが、その巻では王太子であったヒーローが国を取り戻すためにいろんな人の助力を得ながら、主人公のピンチに駆けつけ、相手を失うという状況に陥ったことにより今まで遠ざけようとしていた思い人に対し、開き直ってガンガン攻め、それによってやっと主人公も自分の気持ちに気づくという読んでも読んでもときめきしかない1冊。
これを読み終わったとき、私は思いっきり少女小説沼にたたき落とされていた。

あまりの衝撃に、今までとは違って、全巻大人買いした。夏休みを使って、全巻読んだ。買う決意を固めてくれた9巻目を読むときは顔のにやけが止まらなかった。
作品のことを少しでも知りたくて、検索を片っ端からかけた。
苦手だったPCを毎日使うようになった。
ときめきというのは中毒のようなもの。ひとたび、このときめきを知ってしまったら、たまらなくなっていろんな作品に手を出していった。最初は沼に落ちるきっかけを作ってくれた角川ビーンズ文庫の作品を中心に、そこからコバルトや、ルルル、ビーズログ文庫とどんどんチェックするレーベルは増えていった。

少女小説の良さの一つは恋愛だけに偏らないところだ。1冊250ページくらいなので、月刊誌の少女漫画のような短さではないこともあり、少女漫画ではなかなか描けないところも描いてくれた。陰謀や責務、夢を追いかける姿が真摯に描かれていた。もちろん恋愛を中心にした作品もある。だが、どの作品も主人公が精一杯自分の求めるものを追いかけている姿がよかった。そして、それは主人公だけではなく、周りの人たちもだ。少女漫画の中には女の子ばかり頑張ってるように見える描写の作品があって、私はそれが苦手だった。その間、相手は何をしてるんだろう。相手はなぜ頑張っていないのか。ただそれを描いてないだけだったにしても、どこかもやもやしたものがあった。だが、少女小説では相手側の心情や、周りの様子も描いてくれるものが多く、より応援しやすかった。
一つの世界観でもなかった、西洋系もあれば中華系もある。女王もいれば、平民も、奴隷もいる。軍人もいれば、海賊もいる。神話時代もあれば、大正時代もある。いろんな世界に出会えることが楽しく、どれもきちんと下調べされたうえで、一つの世界が緻密に構成されている姿にのめり込んだ。
また、私がはまったころは長編シリーズも多く、出会って、ともに困難を乗り越え、結ばれ、そこからさらに……という作者が思い描いていたそれぞれの登場人物たちの最後の姿まで見せてもらえることも多かった。
読めば読むほど落ちていった。

その昔、某小説紹介雑誌にて、「少女小説は未開の地」と書かれたの見たことがあった。私は「すでに十分できあかった土地だけども、道の端っこにあるせいで訪れる人が少ないだけだ」と思っていた。大きなジャンルほど人が多いわけでもなく、それでも熱を持った人たちが大事にその場所を守り、耕し、育ててくれていた。私はそんな居心地のよさも大好きだった。

だが、出版不況からか少女小説は形を変えていった。長編シリーズがレーベル関係なく次々と終わっていったとき、それに伴って開始された新シリーズたちは長く続いても3巻というように長編化されなくなっていった。コバルト文庫ではオムニバス形式に、ルルルでは1巻完結の形へと変わり、ビーンズ文庫やビーズログ文庫ではボカロや別媒体のノベライズシリーズも出すという形へと変わっていった。
私は戸惑った。私が愛した少女小説はそういうものではなかったからだ。続くように手紙や感想も書いた。今まで少女小説を同じように楽しんでいた方々は少女小説から距離を置き始めた。私は変化について行けなかった。
そんなとき、Twitterで一つの言葉を見た。
「コンテンツが面白くなくなったら、それはあなたがその対象ではなくなったとき」
これを見て、納得した。ああ、そうか私はもう少女小説の対象ではないのか。私が愛した少女小説は私をもう求めていないのだ。私も他の方々のように卒業するときがきたのだ。と。
だが、できなかった。

だって、少女小説は面白い!!!!

形が変わろうが、どの少女小説も楽しく、ときめきをくれる。現代だろうが、ファンタジーだろうが、女王だろうが、奴隷だろうが、どんなときだって、みんな一生懸命で、その姿に心躍るのだ。
そもそも、私の愛は重いのだ。はまったらその対象に自分の時間も金銭も、労力も持てる物全てを捧げたくなってしまう。だから、私はできるだけはまらないように、はまっても距離を置けるようにしかしてこなかったのに、生涯をかけて尽くしたくなるくらいに、深く深く沼に落とされたのだ。
卒業は無理だ。だったら、腹をくくるしかない。変化について行きながら、それでも作品が長く続くように協力するしかないのだ。

そうこうしていると、ウェブ発小説や悪役令嬢物が多大な人気を誇るようになっていった。私はもちろん最初それにも懐疑的だった。ウェブ小説は好きだったが、それはそういったレーベルだけに任せていったらいいのではないかと思っていた。また、少女小説ガイドの出版記念トークショーでも仰っていたが、少女小説はどこまでが少女小説か分類分けが難しい。逆に言えば、その多彩さこそが少女小説の魅力であり、私はその多彩さに救われた。だからこそ、悪役令嬢物ばかりをそこまで書籍化しなくてもいいのではないかと思っていた。だが、それも変化なのだ。私はコンテンツの対象ではないのに居座り続けている身だ。そのうえ、業界のことなど何も知らないただの一般人だ。多くの関係者が出した知恵をただの素人が否定するのもおかしく、その売り上げで新たな物語の可能性が広がるならそれでいいと思い直すことにした。その状況になれてくると、ウェブ発の読みやすさや、試し読みのしやすさ、悪役令嬢物の一つとして同じものがない世界の広がりがだんだん楽しくなっていった。そのうえ、今までは人気作にならないとなかったコミカライズもガンガンされるようになった。それをきっかけに読み始める作品も増えた。
そんな変化の様子を眺めていると、驚くことに電書の売り上げランキングの上位に少女小説が入るようになった。電書が出始めたころはラノベ分野において少女小説が年間ランキングで見ることがなかったのが嘘のようだ。
また、キャラ文芸という新しいジャンルもでき、そこにはたくさんの少女小説家さんたちが書かれている。少女小説の対象よりも上の世代をターゲットにしていても、そこに描かれるのは私が読んできた少女小説に近く、楽しい。私が愛した少女小説の部分はきちんと受け継がれていて、こちらも次々に手を出してしまっている。
少女小説が今や多くの人の注目を浴びている状況には戸惑いもあるが、嬉しさもある。ただ、レーベルや作品が増えてしまって昔のように把握するのも困難になってしまったのはこのジャンルを愛するものとしては少し悔しい。

私がこの沼に落ちてから確か12年くらいだろうか。他の方々からしたら短い期間でも多くの変化があった。また、多くの変化があるだろう。そのたびに戸惑いながらでも、私は少女小説を愛し続けたい。




ちなみに、冒頭に書いた私を少女小説沼に落とした作品。
それは、『身代わり伯爵の失恋』

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私はこれを読んで初めて、自分の好きな属性に気づかされ、それどころか新たな性癖にも目覚めさせられた。妄想や構想もたくさんするようになったし、ツイッターも始めた>別記事参照


今なお関わりを持っている素敵な方々にも出会えた。いろんなことに出会わせてくれた、まさしく沼に引きずり込んでくれた大事な作品だ。


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