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人見知り

仕方のないことは多々あって、性格もそのひとつだけれど、なんとかなるなら、なんとかしたい。

人見知りって性格なのか環境なのか今まで出会った人によってなるのか、
今までは性格によるのが大きいかなと思っていたけれど、それよりも、周りの人による影響が強い気がする。
まだまだ右も左もわからない時に自分の言った言葉で笑われたり仲間外れにされたりすると誰だって嬉しくはない。自分は自分。楽しんでいこうなんて思えない。だんだん人と話すのは億劫になってくる。暗い人、になってしまう。
そういう人も本来は明るくて、よく喋る人だったのかもしれない。少し不器用で、何かをどこかで取り違えてしまったのかもしれない。
人は多分、自分の話を聞いてもらいたい。別に反論していなくても、何も言わなければ無愛想だと思われるし、人が言ったことに肯定する何かを言わないと、無視したと捉えられかねない。そんな、些細な小さなことが積み重なって、人見知りとか人嫌いに繋がっている人も多いはず。
どこかでボタンをかけ間違えたら、直すのにかなり精神的にも力を使う。常に絶えず、どう言ったら伝わるのか考えなければならない。それだけで力を使う。
そして、面倒くさくなってしまう。
それに、何か言うと否定される。これでは喋ろうという気にはならない。
人は自分の考えを押しつけがちで、自分の意見と合う人間だけを受け入れる。それに、上下関係が出来がちだ。男も女も子供も年寄りも権力があろうとなかろうと全ての人にフラットな人なんていないだろう。自分をないがしろにされたら機嫌悪くなる人も多い。
むしろ、人見知りする人の方が、ベラベラ人に喋らないので、言いやすい面もある。特に自分の足元の狭い範囲のことしか興味のない人間で、よく喋る人は他人のことを話して楽しんでいるので、あまり信頼はできない。
誰とでも喋れるという人は幸せな環境で生まれ育った人だろうし、そういう人は逆に、幸せな環境でない人生を送ってきた人のことはわからないだろう。何を言っても受け入れられてきた人と受け入れられなかった人とでは全く違う。
こうなったのは、性格ではなく環境だと思えば、地道に自分を訓練していけば少しずつ好転していくだろう。環境を変えるのもよい。
少しずつ変えていくしかない。仕方の無いことだ。


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