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マッチングアプリに登録した話

こんにちはお久しぶりです片野です。
もう誰も見ていないであろうnoteでいくつか告白があります。

結論から言うと、
今年中にはやはり死にたい、できれば死のうと思ってます。


今年は色んなことにチャレンジしようと思っています。
就活、マッチングアプリ、バンド等
出来ることを全部やるつもりです。

ちなみに彼女募集という名目で始めたマッチングアプリですが、実はエロに対する意欲はほとんどなくて孤独じゃないと言う安心感がほしいだけで始めました。
なので正直孤独でないと思えるなら同性と一緒に住む、とかでも全然いいと思うんです。
もちろん女の子のほうがいいけど。

今の一番の悩みは孤独です。
孤独に対する恐怖心が日に日に増していて、友だちとは何だ、永遠とは何だ、恋愛とは何だ、みたいな話まで発展して眠れない日々を送っております。
もちろん恋人、と言う存在がいたらその孤独が少しでも和らぐのかもしれないな、とも思うんですけど正直に言うと誰かといても孤独感ってなくなるわけじゃないし、ほとんど賭けというか。いたらいいなくらいのチャレンジ。
しかもこんな暗闇の住人でどうしようもない人と一緒に住みたい人などいるのか、というネガティブ要素もあるわけですね。
このブログを見ている物好きで、僕と同棲してくれるっていう超希少価値の高いスーパー女の子(ギリ男性も可)はDMください。書類審査と面接がありますが、よろしくお願いします。給与は出ません。
冗談です。

もうそして全部ぶっちゃけますがセックスがなくても全然いいんですよ。人生の中に。
安心感がほしいだけなので。
家に帰ったら窓から灯りが漏れているとか、風呂上がりに髪の毛を乾かしてあげるとか、得意料理を振る舞うために一緒にスーパーに行くとか、そういうものが一番今欲しているものなのです。

という
これがまずひとつの告白でした。

就活についてですが、在籍&休職中の現職場にいるスーパーパワハラゴリゴリゴリラから受けたパワハラハイパーパンチが痛すぎて嫌すぎるので同じ職場に戻れる訳ないと、転職を考えまして、今年に入ってからなんか急にエンジンがかかって就活を始めました。
これもチャレンジのひとつです。
面接を受けて、受かって、普通に働いて、上手く馴染めたら自分が社会不適合者なんじゃないかっていう疑念から逸脱できるんじゃないかという淡い期待を抱きながらチャレンジをしてみようと気持ちになりました。
これがもうひとつのチャレンジ。

次にバンドですが、これはもう言わずもがな、自分の最も求めている形です。
アルバムを作る、ライブをやる。これが本気の願いです。
アルバムを作るって言う部分に関してはかなり意欲的に頑張っていて新曲を生み出してはデモをメンバーに送りながら日々すごしています。
ある意味バンドは祈りではなく願い、という話もあるんですが、これもごちゃごちゃした話になるのでまた今度話します。
最近はポケモン8割、作曲2割ってところですかね。

ポケモン楽しい。

というのが今年の僕のチャレンジです。

ほいでチャレンジするのになぜ死ぬのかって話になるんですが、ちょっと長い話をさせてください。

孤独ということについて根本的な部分から話したい。
頼れる友だちができた、いつでも相談に乗ってくれる友人がいる。
これは本当に恵まれたと思います。
しかし、自分が感じている孤独とはもっと刹那的で瞬間的なものでして、
去年の9月に死のうと思っていた自分が頼れる友人を得られて、音楽という視野も得られて、新しい感性も手に入れました。
でも、手元にあるものってなんだろうという発想に至ったわけです。
曲を書ける、友人と会える、大好きな人たちも増えた。
その幸福度に関してはものすごく上昇しましたが、現状、たった今の話ですが、何か変わったかな?という思い込みがすごく強いのです。

例えば相談できる友人がいつだって相談できるかって実はそんなことなくて、
曲が書けるようになったからと言って、それは単なる娯楽でしかなく、
ぶっちゃけ自分じゃなくてもその娯楽を生み出せる人は五万といるわけです。
需要がなければ生み出し続けても捨てられるだけのものたちですからね。
まあ需要が欲しいというわけではないんですが。聞き手ありきの曲ですから。作っただけじゃ名曲なんて言えないんです。名曲かどうか決めるのはいつだって聞き手側ですからね。

そして感じるのは、感性が変わった、大切な友人ができた。これは幸福だけど、それ以外の変化はあったか?ということなんです。
生活に変化があったか?と言われると全くないんです。
前と変わらず家で孤独に過ごしているだけ。
よくよく考えてみると、孤独感を瞬間的に和らげる方法は手に入れたけど、それって一時的なものだということにも気づいてしまいました。

誰かに寄り添えるように音楽を作ってきましたが、逆を言えば自分に寄り添ってくれる人がいない。
守ってあげることはできるが、守ってくれる人はいない、という暗闇に気づいてしまったのです。
これも強い思い込みですけどね。

チャレンジすることは間違いなくします。
だけど何か変化が、劇的なものですね、それがなかったら多分やはり死ぬ、に至るんじゃないかって思います。
死ぬことで孤独感から逃げられるとは思ってませんが、燃費のかかる生より燃費のかからない死から得られる孤独感の方がいい、という結論に至りました。

孤独感、これが拭えなければ今年中には死ぬかと思います。

また暗い話をしてしまって超ごめんね。
でもポジティブな部分もありまして、チャレンジして生活に劇的な変化が、孤独感がなくなるという意味で、変化があれば生き続けるのは間違いないです。

死ぬのがこわくないかって言われたらそんなことないしね。

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