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ソラナックスで空無くす

はい!また暗い話で〜〜〜〜す!!!!
こんなの読まされてるみんなは可哀想!
同情します!同情します!道場も開きます!
せっせっせいや!せっせせいや!なんなんじゃそりゃ!

昨日不動産屋さんに行って、今の家の更新をした。
今のオンボロの長屋、オンボロ木造建築。
心から気に入ってしまっているのだ
もう住んで4年目らしい。なんなんじゃそりゃ

誰かが一緒に住んでくれて、尚且つ犬も飼えたらもう完璧だ。うるせえ。

その不動産屋さんは本当に僕のことを息子のように可愛がってくれて、とても気さくでいい人だ。
犬を飼っている。可愛かった。
僕の病気のことも話した。

彼の言葉で印象的だったのは
「うつ病でも抗うつ剤は飲んじゃダメだ」
という言葉だ。

どういうことかと言うと要は、しゃぶ漬けと一緒で、飲まないとおかしくなってしまう体になり、飲んでてもいずれ脳が"爆発"するんだとか。
怒りやすい性格になり、人の粗を探しては怒り、自分のことを棚に上げる。そんな人間性に変わっていってしまうらしい。
調べてみると確かにそんな文を散見した。

要は薬に頼らないで治すのがベストなんだとか。
なるほど。

今僕が飲んでいる薬は本当に多い。
抗うつ剤が3種類
眠剤が4種類(なんでやねん)
安定剤が1種類

このうちの何がしかの副作用で僕は不眠症を患う結果になった。治すどころか悪化しているのだ。
診断される病名は以前よりも増えた。
よく考えたら馬鹿馬鹿しいことこの上ない話だ。
飲んでは悪化し、また薬が増えて。もはや何のための薬なのか。

確かに薬は依然減らない。
だがそれでも処方している先生が悪いとは思えないのだ。
彼は薬を減らそうと常に努力してくれているからだ。

きっと夜勤続きや、僕の生活習慣に問題があるのだろう。
先生もそう言っていた。

休職することにした。
いや正確には休職させられることになった、と言うべきか。
まあどちらにしても休職を望んではいたので、全く異論はない。
だけど僕はその経緯に、今非常に怒っている。
もしかして抗うつ剤を飲んでいるせいなのだろうか。

今僕は一人のの男を心の底から憎んでいる。
血の涙が出るくらいには。
遺書を書くとしたらちゃんと名前を書き連ねるくらいには。

彼はよく仕事中に寝ている。
まあ夜勤だ。眠くなることもあるだろう。
別に何も文句はない。
だが、僕が夜勤中にウトウトしていた際、
しかも僕と彼が二人きりになったタイミングで
「この仕事やめたら?向いてないよ」
「他の人の迷惑になるから上司に報告しな」等と言うのだ。
ほうほう。

僕が鼻唄を歌えば「社会的に迷惑だと思わないのか?人に迷惑をかけている」
僕が人にぶつかったときに「あっ失礼!」といえば
「普通は失礼しました、でしょ?それは下に見ている人に使う言葉だよ」

「社会的」「普通は」「常識的にと」いう言葉を使って人格にまで言及してくるのだ。
僕はこれらの言葉が非常に嫌いだ。
普通ってのはなんだ?
常識とは?

片野はガラスのハートだ。
割れちまうのだ。
彼の言葉で一人こっそり泣いたことなど多数だ。
おいおい、これはちょっと恥ずかしいエピソードだ。

「俺は君のことをナメている」ともはっきり言われた。
片野は萎縮する。
なるべく静かにする。
だが注意はされる。
静かにすればするほど粗を見出される。

そしてウトウトしていたことを上に報告したのだ。
自分で。惨めったらしいことこの上ない。
そして会社からは「休職すべし」との判断を受けた。
ほうほう。

なるほど。

僕が薬を飲んでいるからおかしいのかもしれないな。
怒りが頂点に達しているのだ。

彼にも欠点はある。もちろんそれも含めて愛されるべき存在だと思う。僕も尊敬している。

ジーザスクライスト…
神よ、すまない。憎んでしまう自分はなんて愚かしいのだろう。

仕事に私情は持ち込まない。そうじゃないんだろうか。
これも僕なりの"常識的に"なのだろうか。
だが、自分のことを棚に上げて"業務上の注意"をされる。しかも人格まで否定されてしまう。

僕はもうこれ以上は耐えられないのだ。

憎むなんて汚い言葉を使って、申し訳ないと思う。
汚らわしいとも思う。


なのでこの感情も時間が解決するだろうと願い、SNSという広い海に流して終わりにしようと思う。

この話題も二度と出さない。
職場でも話さない。
この狂った感情が真っ新な大地に還るよう、願うしかないのだ。

そして、僕は休職になった。

そして、9月、僕は入院までする運びとなった。
ぽよよよ〜〜ん

死ぬ機会さえも、そうか。長引くのかもしれないな。

もう何もいらないのだ。
ただ平穏な気持ちで平穏な暮らしが出来ればそれだけでいい。それすら望めないのだろうか。
いや、それが一番難しいのかもしれないな。

人生山あり谷ありとはよく言ったものだ。
僕は富士山と地底を行ったり来たりしているくらいの違いで。
どんぐりの背比べだ。
だが、ガラスのハートはもうこれ以上は割れないのだ。
もう砕けすぎてなくなってしまった。
全部砂だ。

映画ハリーポッターで
ヴォルデート卿がダンブルドア校長に魔法で無数のガラスの破片を投げ、
ダンブルドア校長が魔法でそれを全て砕き、砂に変えるのだ。

そう、ガラスは砂になるのだ。

サ─────ッ

そして風化するのだ。
全部、忘れられるのだ。
傷つけたことも、傷ついたことも、
辛かったことも、悲しかったことも、
僕がここにいたという事実も
僕がここで悲しんだ事実も

忘れてしまえばなんて事はなくなるのだ。
傷は治ろうとする。痕は消えないが、治っているように見える。

中学の時、イジメられて学校に来なくなった池田少年のことを今でも忘れない。
あんなに笑っていた池田は、
卒業写真では右上の丸の中に押し込められ、みんなが笑顔で写真を撮る中、死人のような顔をしていた。

誰も彼のことを気にせず生活するようになるのだろう。
彼の家に何度行ったことだろう。
顔すら見れなかった。

中学の時、僕をロッカーに閉じ込めて、隙間からチャッカマンで火を浴びせた彼のことを今でも忘れない。
憎んでなどいない。
ただ、忘れないだけだ。
きっと笑って過ごしていることだろう。
彼はそんなこと忘れてくれて構わない。

ただ僕は、忘れられないだけなのだ。
みんなが忘れてしまった思い出を。
みんなが笑いながら過ごしていた中で苦しんだ人たちがいたという事実を。

僕たちは弱いのだ。
弱いから虐げられるのだ。
反逆など出来ようものか。弱いのだから。
だから僕たちは身を寄せ合って、傷を舐め合うように願いの歌を歌うのだ。

黒人奴隷がブルースを歌ったように。

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