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ウマ娘女子が引退馬支援界隈人の洗礼を受けた件


ツイッターで間違った投稿をしていた引退馬支援界隈の人に訂正リプしたら、こわい目にあってしまった。

このことがあって数日間、睡眠導入剤を頼らないと眠れなくなってしまった。いろいろメンタルに来たんだろうなあと思う。
落ち着いてきたので心の整理と反省、お焚き上げとしてこれを書いた。

固有名詞を伏せようか悩んだけれど、伏せていたが故に事態がより混乱した部分もあるので、この記事においては出すことにする。
問題がある場合はご連絡ください。謝罪して訂正いたします。


それは先週のことだった。
ふと目に入ったあるツィートにわたしは困惑した。名前は伏せてあるがどこの牧場のことを言っているのかはすぐに察しがついた。

おそらくこれはYogiboヴェルサイユリゾートファーム(以下ヴェルサイユ)のことだろう。
通りすがり氏は引退馬支援の人という認識だ。
同界隈の人同士で思うところがあるのはよくある話なのでそれは別にいいが、わたしを困惑させたのは「自分ところの生産馬引き取らないのか」の部分だった。
現在、ヴェルサイユでは自家生産馬(生まれたのは前身である三城牧場時代)であるジョウノボヘミアンが繋養されているからだ。
彼のことをとても気に入っている身としては、まるでその存在を無視されたようで寂しかった。
そこで恐る恐るリプした。なかなか勇気のいる行動だったが、数千人フォロワーがいる人から間違ったネガティブな情報が拡散されるのはなるべく防ぎたかった。
その方は自分の誤った推測に基づく誹謗中傷を言っていたので、その方への気遣いとして固有名称はぼかしておいた。いま思えばそれが大きな過ちだったな、としみじみと思う。

柵を蹴るダービー馬(タニノギムレット)がいる牧場には自家生産馬(ジョウノボヘミアン)がいますよ
わたしはそれだけ伝えられたらよかった。

「JBISのデータベース検索をされたことはありますか。かなり有用ですよ。もし、ご経験がおありでしたらすみません」

という返答が返ってきて私は面食らった。
面食らいつつも、考える。JBISサーチはそりゃまあ知っている。私はどちらかというとnetkeiba派だったが。
(ひょっとしてnetkeibaには載ってるけど、JBISには載ってないの?と検索したけれど、普通に出てきた)

推測
・調べてみろ、あそこの馬全部自家生産じゃねーぞ、と言いたかった。
・JBISサーチを見てみろ、他にも生産馬がいるだろ?それも引き取らなきゃ駄目だ、と言いたかった。

ふたつ、思い至って。

前者であったとしたら彼の言っていた事は間違いになる。
それで「JBISのデータ検索をされたことはありますか」は、言った本人にとってはかなり恥ずかしい事態になるよね、とここは失礼の無いように後者ですか?と尋ねてみることにした。

そして返答が返ってきた。

「必ずしも全頭などとは」「自己資金でまかなっているのなら好きにすれば」という返答だったので、
『支援を受けているのだから、全頭とは言わないが自家生産馬をもっとたくさん引き取れ』
ということで…いいんだよな?と解釈した。
②から④は「自分ところの生産馬引き取らないのか」に対して私が伝えようとしていた「今現在、ヴェルサイユで自家生産馬であるジョウノボヘミアンが繋養されている」というファクトとかけ離れるので横に置かせていただいた。
もしヴェルサイユさんの運営方針に問題があると感じているのだったらしかるべき機関に訴えたらいいのではとわたしは思うし、飼育方法に疑問があるのなら、その事を上から目線ではない文章でしたためて改善策も提示してお手紙でも送ってあげたらいいと思う。
こんな所で初心者相手に「調べてごらん、ニチャア」なんてマンスプレイニングせずに。
わたしの心も彼の他人を小馬鹿にした対応にいい加減、ささくれだっていたのかもしれない。

そして①に対しては、自家生産馬を引き取り、経済的な問題から数年生かした後にまだ元気で生きることのできる馬を薬殺していた浦河渡辺牧場さんの例を出した。
わたしはこれに関しては私とは違う文化圏の話だな、と感じる。自馬で行っているのだから否定しない。でもつらすぎる。馬が、というよりは馬と接する人がつらいだろう、これは。私はまだ元気で生きられる馬に、安楽死するために安楽死の処置を施させられた獣医に一番同情する。
別の牧場と勘違いする人が出てこないようにするため名前は伏せなかった。
呟きを消すように言われたが、これについて本も出され、信念と誇りを持って行っておられる事なので伏せるのも失礼だと思う。

途中で遮られてしまったが、タニノギムレットが生まれたカントリー牧場やアドマイヤジャパンが生まれた早田牧場もうなくなってしまっている。帰る故郷のなくなってしまった彼らの居場所になってくれていればそれだけでいいし、『稼げる』馬の売上げで他の馬たちを無理のない範囲で養って貰い、スタッフの暮らしを支えてもらえればそれでいいんじゃないか、といった感じの事を書こうとしていたと思う。私は爪に火をともす思いをしながら引退馬支援活動をしてもらいたくない。
それに対する反応は激烈だった。

理不尽だなあと思った。
この言葉はわたしが最初にリプをしたこの彼の呟きにそのまま返ってくる言葉だからだ。

だったら、あなたが批判していたヴェルサイユさんだって自由なんじゃないの?って。第三者への配慮云々も、名前を伏せていようと結局はわたしのような第三者の目に触れ、すぐにどこのことかわかったのに。
自分のTL内でのやりとりにこだわりがあるようだが、全世界に発信されているSNSで何を言っているのだろう。会話を打ち切りたかったらリプ欄を閉じるなり鍵をかけるなりすればいい。
しかもこの話題は彼がわたしに投げかけた「JBISのデータ検索をされたことはありますか。かなり有用ですよ。もし、ご経験がおありでしたらすみません」から始まったというのに。
理不尽さを感じながらも、『まだ続けるのか』という喧嘩腰におののいて、つぶやくのをやめた。

この感じだとヴェルサイユで繋養されているジョウノボヘミアンは自家生産馬だってことはこの人には伝わってないんだろうなと思ったが、これで終わらせるつもりだった。
通りすがり氏はナイスネイチャの写真集をツィート(Rtかもしれない)した。終生飼育されている馬もいるのだぞ、ということなのかなと思った。そりゃ知っている、ウマ娘プレイヤーだもの。ネイチャにはチャンミで何度もお世話になったし、勝負服のデザインは全ウマ娘の中で一番好き。センスのかたまりだと思う。実馬も好き。でも引き取られた馬の中で、こうして長生きできた馬とそうではない馬がいたのは事実で、それを思うたびに私の心は引き裂かれる。

それからしばらくして、氏はこう呟いた。

どう考えてもわたしの事を話しているし、「自家生産馬いますよ」も伝わってない。しかもわたしが終生飼育に話題をすり替えたことになっている。意見が合わないのは別にいいが、実際に起きたことを捻じ曲げて話されるのは困る。
というか話題を打ち切りたいならわたしの事を話さないで欲しかった。
自分のことを全世界の向けたSNSで発信されて、それは違うと思ったなら訂正、反論するのは当事者の権利だ。

ヴェルサイユは元オーナーに受け継がれる前は三城牧場という名前で(冠名ジョウノ)ジョウノボヘミアンはその時代に産まれた馬だったので、そこでお互いの認識が合ってなかったのでは?という考えも述べてみた。
正直、この線は7割「無い」だろうなあと思ってはいたものの、お互いのカテゴライズが違っていたから生じたすれ違いだった、どちらも間違っていたわけではない。ということにすれば丸く収まるかな?という落とし所としての提案だった。
つくづくこのわたしのこの迂遠さが事態をよりややこしくしたのだな、と心底反省している。

それに対する返事がこうだった。

未来人でないのでわからない、と言ったのはその馬が現在も生きているからだった。これはこの牧場に限った話ではなく、IFとして、どの牧場だってこの先経営が傾いたり、災害、戦争などで家畜を置いて人間だけが逃げなければならない可能性もゼロではない。そういう意味での「未来人でないのでわからない」だった。
「終生飼育してないからと批判していておきながら」も、批判というよりは「わたしはこちらの方が趣味に合う」という意見、論評だった。
「批判」ならもっと強い論調での否定になっただろう。

保健所からあと十年くらい生きる犬を3匹引取って、経済的な問題から3年経ってやっぱり殺すくらいなら、わたしは無理せず1匹だけ引き取って生涯付き添うほうがいい。これはそれほど珍しい感覚ではないだろう。
でもその3年の猶予期間に、その子を引き取ってくれる誰かが現れることもあるので(実際にそういうことはあった)それはそれでありだし、意味のある選択ではないかとも思う。命を繋いでいる間に、競走馬を擬人化したゲームが流行って支援者が増えたりするしね。
それを批判と受け取り、これほどまでに拒絶する。
わたしの個人的な推察ではあるが、その人の心の奥底にこの行為はおのれの正義に反する悪いことである、という受け入れがたい、認めたくないジレンマが沈んでいるのではないか?と思ったりした。あくまで推測の話だけれど。

もともと返信なんて期待していなかったのにひたすら難癖をつけられるし、なんだかもううんざりしてしまって

「結局、自家生産馬がいるの知らずに叩いていたんでしょう?お花畑がなんかクレームつけてきたと思って適当にあしらったつもりだったんでしょ?引っ込みがつかなくなってわたしが話題をすり替えた事に拘泥したんでしょ?」

とうっすら感じていたことをぶっちゃけて終わりにしようとした。
そして「これはあなたが始めた話ですよね?わたしは数の問題なのかと確認して、肯定と取れる返事をあなたがしたので、わたしはそれに応えただけですよ」と釘を指した。
もっと言葉を付け足すなら、あなたは自分が好きな牧場が批判されているように感じて傷ついているのかもしれないけれど、そもそも、あなたが事実確認もせずにあなたの嫌いな牧場を批判したことから始まったのです、と。
すぐにリプが付けられた。

「自家生産馬の一切を引き取っていないと、いつ発信しました?」
で唖然としてしまった。
そうだったの、というよりは「そういうことでいいの?」だった。
個人的にはまだ「うっかり知らずに叩いちゃった。ごめんちょ」だったほうが恥ずかしいかもしれないけれどさわりが少ないと思うのだが。
「わたしの言っている牧場で合っているという前提で話をする」に通りすがり氏からのいいねが付いていたので、いまさら別の牧場の話です、とかはないと思う。
公開情報も含めて全部調べたとのことだったが、今年の6月14日の呟きで、昨年夏に登場したこの馬運車についてもこの調子だったので(すぐにツッコミが入って訂正していたが)、実際にそうだったとしても見落としている可能性は大いにあるし、話半分にとらえておくのが1番かな、と思っている。申し訳ないけど。

正直なところ、自分はわたしに直リプで反論しておきながら、わたしにはもうリプを飛ばすなと命じるのはずるいんじゃない?とかなりもやもやした。
せめて直リプでなく、エアリプでやればいいのに。

もともと壁打ち、半鍵垢のようなものなのでそろそろ鍵をかけるか、なんかえらい目にあったなあ、そんなことを思っていた。

その翌日の朝、通りすがり氏からこういう呟きがあった。

どう考えても昨日のわたしとのやり取りのことだ。
わたしが伝えたかったのは「自家生産馬いますよ」というファクトであって、意見ではない。それを再三伝えたのに捻じ曲げられてしまっている。
これって彼の言った藁人形論法そのものやんけ。
なによりもショックだったのは、あれだけもうリプするな、時間のムダ、迷惑だとわたしに言っておいて『一生懸命理解しようとしたけど無理だった』の部分だった。
ただ、親の仇のように繰り返していた終生飼育云々の件はもう出していなかったので、そのあたりは伝わったんだなと嬉しかった
過去の自分の話になるけれど、「まあ、我慢すればこの場は収まるし」と言われっぱなしでそのままにして、その後もそのことがしこりになって結局はその世界から離れてしまったことが度々あった。
そういったことをもう繰り返したくないのでできるだけ反論をするようにしている。

気持ちの整理をつけるために、自戒を込めてこの経緯をまとめた。


※これは後から思ったことだけれど、ひょっとしたらジョウノボヘミアンの所有権そのものは乗馬時代のオーナーから移行していないのかもしれないし、他のところにあるのかもしれない。けれど、JBISサーチで調べてもそんなことわからないのだった。
彼がいまヴェルサイユでのんびりと草を喰んでいることに変わりはない。


まとめと反省点

「JBISのデータベース検索をされたことありますか」の時にもっと詳しくどういうことなのか尋ねておけばよかったと思ったな、と思う。
そこで話題がそれてしまったから。ちゃんとつめなかったわたしが悪かったなあと反省する。
いろんなことでもっと勉強が必要なのは確かだ。きっと勘違いもいっぱいあるだろうし恥ずかしい。

これはわたしのここ最近の動物愛護がらみの流れを眺めていた感想なのだが、引退馬も動物愛護の人たちも、「悪」を生み出しすぎなんじゃない?「馬を救う、助ける」こういう言葉や概念はとても美しいように見えるけれど、そのために生産者や関係者に責任を押し付けたり、非難するのは不幸を生み出す元になると思う。
この言葉を使う為に関係者を悪に置くのは、図々しい考えだと思う。
動物とかかわる限り、最初っからわたしたちは彼らにとってはうっすらと悪で、「善」ではない。そういう認識から始めていかないと踏み外してしまうんじゃないかと思う。
自分を正義の側に置いて誰かを断罪するのは気持ちがいい。わたしにもそういうところはある。
けれど断罪するならそれが事実であるか、情報の精査を今一度、二度、三度お願いしたいと思っている。
自分で言っていて突き刺さる。

わたしにはアニマルウェルフェアはなによりも動物と直に接する人の心を守るためにあるんじゃないかなあ、という個人的見解がある。
(これはあくまで個人の感想で、他にいろいろと意味があるのは知ってますからね)
たとえば家畜を飼育している施設があるとして、経営者はできるだけ経費を削減したくて従業員にもっと手を抜け、餌を粗末なものにしろと命令する。目の前で家畜がつらそうにしてたら従業員もつらいよね、心が壊れちゃう。だからそんなときのために愛護法なり、アニマルウェルフェアを盾にして家畜のQOLを守れれば、家畜は快適だし、従業員の心も護れるし、これはある方とその話をして得た知見からだけれど消費者も安全で美味しいお肉を口にすることができてWin-Win。

ほころびが出た時に重箱の隅をつつくように叩くのは楽ちんだろうけど、信じて見守り助言する姿勢も大事だと思う。
未熟なこともあるし、うかつなこともあるでしょ。怒って叩く暇があったら、丁寧な口調でお手紙をしたためてお願いしたほうがわたしは建設的だと思う。決して要請ではなく。
動物のために他人に犠牲になれ、と求めるのはおかしい。
わたしの考えは甘すぎる理想論かもしれないけれど、そういうので回っていけばいいと思っている。みんなできるだけつらい思いをせず、誰かに責任を転嫁せずに、自分の手の届く範囲で。
生産者が彼らを生み出してくれたから、わたしはこの子たちに出会えて、わたしは幸せ。
それでいいんじゃないかと思っている。




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