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祖父が亡くなった。涙は出なかった。

祖父が亡くなったという知らせが届いた。
いや、正確に言うならば、
半年前までもう死んでるもんだと思っていた祖父が実は生きていて、
半年前に初めて、一度だけ会って、今度は本当に亡くなった。

血が繋がっている家族が亡くなって涙が出ないなんてなんてドライな奴だと思われるだろうか。
だけど、私にとってはただ血が繋がっているだけの人なのだ。
それ以外の関係もなければ、思い出も何もない。というかとっくの昔に他界しているもんだと思っていた。
それでも知らせを聞いてから、しばらく心が重くモヤモヤするのは、
やはり血が繋がった人の死だからだろうか。
体調を崩している時に連絡が来たので、なおさら1人しんどかった。
活動以外外出する気になれない。ご飯を作る気力も起こらない。

少しだけ、私の昔話をしよう。
私の家族は母子家庭だ。
父親は私が小さい頃に出て行った。
今はだいぶ関係は良好だが、私の母親はいわゆる毒親だったと思う。
私の子供の頃の家族の思い出は、毎日怒鳴り合っている父と母。
そして父がいなくなってから始まった母から私への攻撃。
暴力、罵倒は日常茶飯事。家に入れてもらえなかったり、私だけ廊下でご飯を食べさせられたり、物が飛んできたり。
今思えばストレスの矢先が父から私にむいたのだと思う。
ずっとその状態なわけではない。
過去の写真を見れば、家族らしいこともしていたと思うが、私の記憶には苦しい日々しか残っていない。都合の悪い脳みそだ。

と言うわけで、私はそんなに親と仲が良くない。
と言うよりも母親のことが好きではなかった。
だから親の家族事情なんて本当に知らない。
物心ついた頃から、私にとっての祖父母は、おばあちゃん1人だった。
なぜ祖父がいないのかは誰に聞くわけでもなく、兄弟全員が死んでいると思い込んでいた。

母親から「35年ぶりにあなた達のおじいちゃんから連絡がありました。」
と連絡が来た時には、兄弟全員が「生きてるんだ」と口を揃えて言った。

ブラジルに来る前に母親と兄弟と祖父に一度会いに行った。
会っても「へぇこの人がおじいちゃんなんだなぁ」と言う漠然とした感情しかなく、特に感動もしなかった。
よく知らないおじいちゃんとただ挨拶しただけだ。
ただ、何度も私たちの名前が書かれた紙が机の上にあったのを見て、
初めて孫に会えるのを凄く楽しみにしてくれていたことはわかった。
少しだけ胸が苦しくなったのを覚えている。

帰り際に弟が「俺はじいちゃんじゃなくて、父さんに会いたい」と小声で言った。
そうなんだよな、本当に。
私もおじいちゃんよりもお父さんにもう一度あってみたい。

だから、だからね、母親が、私たちを連れて祖父に会いに行きたい気持ちも死ぬほどわかった。
母親と祖父がどんな関係性だったかはわからないけど、
実の父親には会いたいよな。会いたいよ。
2人が、祖父が生きているうちに再会できて本当によかったと思う。

祖父に会わなければ、今この謎の重い気持ちで過ごすこともなかっただろう。
家族ってなんだろね、まじで。
色んな家族の形があると思うし、
血が繋がっている=「家族」だと私は思っていないんだけど、
それでも、今回この心の重さをこんなにひきづるのは、少なくともたった一度だけ会った「血のつながった人」が亡くなったからだと思う。
人生で初めて自分の祖父に会えたことはいい思い出だったといつか感じるのかな。
もう会えなくなっちゃたけど。たった1度だけだったけど。

おじいちゃん、天国で安らかにお過ごしください。
天国からだったら、孫がブラジルで奮闘している姿も見れるでしょ。

さぁ1週間引きこもったし、
モヤモヤも言葉に出したし、
そろそろエンジンかかってください私の身体。

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