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あけまして、

「明けましておめでとうございます。」

1月1日、元日。

0時を超えた瞬間に街中に挨拶が聞こえ、人々は頭を下げる「今年もよろしくお願いします。」

「いやぁ新年明けたね~」「めでたいね~」「今年の目標は~」なんて言いながら、乾杯したり、初詣したり、TVを見たり。毎日のようにやってくる日付を超える瞬間なのに、年に1回は日本中の人が同じ気持ちをシェアしているかのようだ。

いや、日本中より世界中かもしれない。日付変更線がある限り、一斉に新年を迎えることがないけれど。世界中のどんなイベントよりも年明けが、世界共通でお祝いされる時なのかもしれない。私はとても好きだ。

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そんなことを書こう、書こうと思っていたらいつの間にか1月が終わろうとしていた。

新年。目標を立てるべきなのか。

これは新年最初の悩みのようなもので

1ヵ月後も1週間後も明日も1時間後も、自分がどうなっているかなんてわからないのに、1年を見据えて目標なんて漠然としすぎて浮かんでこない。

というよりも生きているかもわからない1年後のために、目の前にある時間を削りたくない。単純に私がバカなだけなのかもしれない。


だけど、2020年になって始めたいことはできた。

そう、

・言葉を残すこと

ということでnoteを始めた。

別にかっこいい言葉を書こうとか、ためになる記事を書こうとか、そういうわけではなくて、ただの備忘録。記録。日記。

社会人になって早10ヶ月。あまり記憶がない。

息をするのを忘れるぐらい暗闇を全力疾走しているなかで、黒色の情報をなんとか手探りで見つけだし、私の脳に突っ込んでいるような毎日。遠くにあるかもしれない扉に向かって、時間制限のデッドラインに追われながら走る能力もない足を動かしとりあえず前に進んでいるような。

嬉しいとか楽しいとかすごいとか好きだとか、色のついた感情が生まれない。生まれても暗闇にのまれるか、大量に突っ込まれる新しい情報のせいで、容量オーバー消されているか。

そんな感じの日々なので、どんなことをしてどんなことを考えてこの10ヶ月間過ごしてたのかびっくりするぐらい記憶がない。あるのは小さな容量の中にぐちゃぐちゃぎゅうぎゅうに入っている情報と押しつぶされそうなぐらいの負の感情、劣等感。

この状況に年末年始、やっと気が付くことができた。

よくない!と、多分社会人になってからも色んな経験をして色んな感情を抱いて色々考えていたはずだ!と。

きっとまた気づいた時には忘れてしまっていると思うから、時間を作ってnoteに残そう、考えたこと、感じたこと、やってみたこと、なんでもいいから。

そんなスタンスのnote。

あとは日本語の練習!笑

国語が大苦手な私は、頭の中で言葉がぐるぐる回るくせに、まったくアウトプットででてこない。言葉も漢字も!

なのでちょっとでも日本語を並べることが上達するようにと。


よしゃ、


2020年、よーいどん。

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