母の話
私の母は、57歳。
看護師をしていて、責任感も強く、
とにかく困った人を放っておけない。
かと思えば、天然ボケで、おっとりしてて、
いつまでも少女のような人だ。
母はいま、ガンと闘っている。
節外性NK/T細胞リンパ腫 鼻型
聞きなれない名前だが、鼻に腫瘍が出やすく、
かつては鼻壊疽とも呼ばれたもの。
鼻に限局される場合と、
鼻には特に出ない場合がある。
鼻に腫瘍ができなくても、鼻型と言われる。
鼻に腫瘍がなく、進行期である場合、
予後が非常に悪い。
私の母は、そのパターン。
予後について聞いたかどうかは分からない。
たぶん、聞いていない。
ただ、闘うと決め、抗がん剤治療を始めた。
私は、結婚し、今年の春から北海道へ行った。
北海道に行くと言った時、母は泣いていた。
ふたりでよく出かけていたし、
私たちは姉妹と間違われるような関係だった。
その母をおいて、私は北海道へ行った。
母の体調も安定していたし、勝手に安心していた。
そんなとき、さらなる腫瘍がみつかった。
前より、ずっと、深刻だった。
母は私の結婚式に参加できず、
ひっそりと治療を始めた。
妹が、そばにいてくれた。
反抗的な妹だけど、母を想って、
そばにいてくれた。
11月のはじめに母に会いに行った。
痩せていたが、おしゃべりな母だった。
次の日、帰る前にまた病院に会いに行った。
母は泣いていた。
「そばにいてほしい」
「たまにでいいから来てほしい」
母の想いを、分かっているようで、
私は分かっていなかったのか。
どれだけ寂しい想いをさせたのか。
「わかってるよ。来るからね。」
最後に写真を撮った。
今月、休みをとって、もう一度来よう。
そう決めて帰った。
母は、感染症になった。
41℃の高熱にうなされる日々。
不安になった。
11月12日の夜
病室からこっそり電話がきた。
「熱が少し下がったの」
「声が出づらいけど、今は少し楽なのよ」
私は言った
「来週、そっちに行くからね。」
「分かった。来週ね。無理はしないでね。」
看護師さんが来たらしく、母は慌てて電話を切った。
次の日
母はショック状態になった。
感染症による、敗血症性ショック。
ICUに入り、挿管し、呼吸器をつけ、
24時間透析が始まった。
その日のうちに、私は飛行機に飛び乗り
母の元に向かった。
ごめん
ごめんね
寂しい思いをさせて
勝手な娘で
ごめんなさい
母を見て、涙がとまらなかった。
でも、その涙をぬぐい、
笑顔で話しかけた。
お母さん、きたよ。
母は、その状況の中で、目を開けた。
ただ、うなづいた。
強い人だ。
本当に強い。
たとえ感染症にならなくても、
あと半年だと言われた。
母は重度のショック状態にながら、
今も懸命に闘っている。
だんだんと目がうつろになり、
焦点が合わなくなってきたが、
ただ、そばにいたい。
仕事をしばらく休むことにした。
一緒にいようと思う。
いまさら、勝手だけど。
それでも一緒にいようと思う。