見出し画像

ゆだねる

「さいごに何食べたい?」

こちらの企画への参加記事です。


この企画を知ってからずっとこのことを考えていたら今日が締め切りになってしまいました。
毎日そのことばかり考えていたわけではないけれど、くまさんの初企画はどうしたって参加すると決めたから出すまでは自ずと頭の中を巡るわけです。

初めに読んだ時は「わが家の鉄板ネタ」というくらいこの会話をしてきたので、家族全員総出で参加しようと思っていました。

息子は私の餃子だし、娘は私の焼売(本音はポテト)なので、それぞれ企画締め切りまでに食卓に出して写真撮ろう!と決めたんです。

焼売は明日作る予定なので写真が締め切りに間に合わないとわりと本気で悩んでいた(笑)

夫はうなぎです。ここで私の手作り的なものを言わないのが何とも夫らしい。子どもの頃にこの会話をした時、いつも「うなぎ」って答えてたからこれからもずっとうなぎだそうです。思考の省エネですね。

私はイクラかな。自分の作った餃子も捨てがたいけれどさいごまで自分で作るのはちょっと・・・


ん???


これ、『さいごに食べたいもの』じゃなくて、『いちばん好きなもの』なんじゃない???

だよね?だよねー!?となりまして・・・

そこからぐるぐるぐるぐる頭が同じところをえっさほいさと走っていました。


そして迎えた締め切り日。

まとまりきってないけれど、くまさんが書かれていたように、その時によって変わるものだと思うので、今日の私が思ったことを素直に書き残すことにします。



なんでもいい。


途中まで頭にあったのはコレです。

投げやりなわけではありません。

日々、この瞬間を生きているのならば、いつがさいごになるのかわからなくて、それを考えるよりも「今、食べたもの」に「ごちそうさま」でいいかなと。

でもそうなると企画に答えていません。

出すからには「何か」を見つけたい。


夫にゆだねる


私の父は交通事故で頸椎損傷をし、家に帰ることはなく、病院や施設でさいごまで生きました。

胃ろうになってからは、わずかのかき氷を食べるときだけしかめていた顔が和らぎました。寒くなるとかき氷が売っていなくて手当たり次第スーパーをめぐって探しては持っていったけれど、食べられないことが増えていく日々。その後気管切開をして、そのかき氷も食べることができなくなりました。

私の両親は仲が良い夫婦ではありませんでした。

父の入院・入所していた2年半、母は私にはわかりきれない思いを抱えていただろうし、渦巻く感情を爆発させることも少なくなかったです。

その期間は私の死生観にも大きく影響をしています。

母は法的に守られるよう、すべての意思を書面にして封をしていると何度も同じことを伝えてきます。
それはどう生きるかの覚悟を少しずつ決めるかのように見えます。

私たち夫婦も父の事故をきっかけに延命措置について話し合ったことはありますが、改めてお互いのために形にしておこうと思いました。

そして、今回の企画のおかげで、もし私のさいごに夫がとなりにいるのなら、夫がしたいようにしてほしい、その気持ちを追加します。

夫が私に食べさせてあげたいものが私の食べたいもの

仮にそれがぜんっぜん的外れでも、いつか空で再会したときにツッコんで盛り上がれるでしょう。しかし、夫は超動じない人なので、聞いていないんじゃないか?くらいの反応の薄さという可能性も大いにあります(笑)


さいごに食べたいってさいごにしたいこと


食べるって何のためにするのだろう・・・

私はあまり「食」に興味が強い方ではありません。

もちろん好物もあるし、料理はそれなりに得意です。
おいしいものを食べたら嬉しくなるし、食べることで元気ももらっています。

でも私がさいごにしたいことってなんだろう・・・と考えた時、「たべる」じゃないと思いました。

「ありがとう」と言いたい。

声に出して言いたい。

願わくば自分の納得がいく声で言いたい。

だからそのために必要なもの。

私が最後に望むものは『水』ですね。

2022年1月9日時点での私は・・・ですが。



参加する!と表明してから1ヶ月。
なんだかくまさんとずっといっしょに過ごしたような気分です。
くまさん、ありがとう。


読んでくださってありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?