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珈琲タイム
友だちに贈るnoteです。
わが子への「あの時こうしていたら…」の後悔。
あの時なりに精一杯やったよねとか、気持ちの余裕がない状況だったから仕方ないよねとか、私はそうなりません。
だれかがそれを持っているとしたら、そうだよねと思います。
母親が感じる「あの時こうしていたら…」が大きくずれることはないと考えているからです。
そこに至るまで何百回何千回と「たられば」を巡らせています。
だから存分に後悔すればいいと思っています。
後悔って悪いことなんでしょうか?
後悔ってしないほうが良いのでしょうか?
「たられば」は無意味なのでしょうか?
振り返って悔いるほどの愛です。
無意味さに打ちのめされても止まらない願いです。
過去を過去として放り出さないのはこれからの未来を見据えてるからです。
過去に戻ることはできないし、今それをどうにかするなんて簡単ではありません。
でも、明日は少し変わります。
何年後かはまたもう少し変わります。
私はそう信じます。
たくさんの後悔は私の息子への愛です。
「いらねえよ!」と言われたら笑って「マジ?」と返したくなる愛です。
周りに教えてもらった「そっか!」の気づきはたくさんあります。
でも、同じことをぐるぐるぐるぐる自分一人で回ることもそれもまたどこかの「そっか!」につながります。
だから私は友達が「あの時こうしていたら…」を溢れさせていたら、ただ、ただ、抱きしめたいです。
「あの時」隣にいられなかった友だちに、「今」ならできることがあります。
「あの時こうしてあげていたらよかったのかな?」と「たられば」する友だちの悔しさともにを感じます。
悔やむほどの想いに流れる涙と自然と浮かぶ笑みを添えて、いっしょに珈琲を飲みましょう。
読んでくださってありがとうございました。
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