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カストリ書房が新設するカフエー&バーについて

ブックカフェ、どことなくおしゃれな響きです。

目下開催中である以下のクラファンでもご案内したとおり、新店舗ではアルコールとソフトドリンクを提供するカフエー&バーを新設します。新しいカストリ書房は近年増えつつあるブックカフェの末席に加わることになります。

弊店のカフエー&バーは、クラファンでもお知らせしましたように、同好の士たちが集える交流拠点となることが目的ですが、弊店や個人のSNSでは、ブックカフェについて批判的・懐疑的な意見を述べてきました。そんな弊店がブックカフェを構えることについて、本稿では触れてみたいと思います。

ブックカフェという業態には、一定の留保を置いています。次のような理由からです。

日本の多くの新刊書店(以下、書店)は、委託販売制を採っています。本の所有者は出版社であり、書店は預かり、本が売れれば販売手数料が利益となる、という構造です。業界の慣習や慣用語に違いはあるかも知れませんが、商品流通の構造は他業種にもみられる委託販売制です。したがって、売れない本は所有者である出版社に戻されます。

出版流通の委託販売制についてはネット上に多くの言及があり、ここでは繰り返しませんが、分かりやすいメリットは、販売力に乏しい小さな書店でもマーケティングから外れそうな書籍を意欲的に本を仕入れ(陳列す)ることができ、本と人と出会いの可能性を拡げてきた、というものです。しかし、本以外の情報入手源すなわちネットや電子書籍が普及し、地域格差、経営規模格差などが解消されるにつれて、こうしたメリットは希薄になりつつあります。

委託販売制に話を戻すと、他で利益を十分確保できるのであれば、わざわざ本を売る必要がなくなります。本を売る努力をしない本屋などあるか?と指摘されそうですが、そうなり得るのがブックカフェである、と私たちカストリ書房は考えています。

誤解を招きかねないので、予めお断りですが、本稿で指摘することはブックカフェを営む書店すべてを指してはいません。本の利益率が少ないとはよく聞くことですが、書店という文化を継続するため苦肉の策としてカフェを併設する書店さんも少なくないと拝察します。加えて、本の利益率の低さに追い打ちを掛けるような販売部数の減少、人口減少という社会背景があることもまた忘れたくないものです。書店やカフェという業態が持つ可能性にチャレンジする試みも、尊いものと拝察します。一方で、私は国内で最も大きなブックカフェの一つを経営する企業の関係者から、書籍販売よりもカフェ部門が利益を牽引しているという実態を聞いたことがあります。

一般の人々にはあまり認知されていないことですが、「本」には集客力があります。利益性は低くとも、他では代えがたい集客力があるのです。

カストリ書房が吉原遊廓跡に開業したのは2016年のことですが、弊店の母体である株式会社カストリ出版の代表を務める私、渡辺豪の目標は、「遊廓の歴史を残すこと」です。遊廓の本を売ることは手段であり、目的ではありません。

吉原遊廓跡という立地を選んだ理由は、ここに足を運んで欲しかったからです。吉原遊廓と聞くと、多くは「絢爛豪華な〜」という煌びやかなフレーズが思い浮かぶかもしれません。一方で、現在の吉原には過去の歴史をしのべる建築物や史跡は極めて乏しいのが現実です。これは吉原に限ったことではなく、全国有数の残存だった名古屋の中村遊廓の娼家もまた近年多く取り壊しが進んでいます。今後は娼家建築をはじめとする史跡の多寡が歴史継承に与える影響は小さくなるものと予想します。

全国で最もシンボリックな遊廓と言える吉原も、「江戸文化発祥の地〜」と持ち上げたところで、売春防止法施行後からこの約半世紀以上、歴史継承は決してうまくなされていないのです。

実態とはかけ離れて煌びやかなイメージばかりが先行する遊廓という歴史。全国に約600箇所弱存在したとされる遊廓すべてに足を運び、自身の目で確かめて実感することは不可能でも、代表的な事例として吉原に足を運び、実情を知ることで、遊廓の歴史をどのように残せるのかについて、一緒に考えて貰えるのではないか、という私の仮説と構想をカタチにしたのが、カストリ書房です。

歴史継承を目的とするためであれば、例えば「遊廓研究所」などの名称が真っ先に思い浮かびますが、私が客の立場であれば、懐古趣味の独自研究を小一時間とくとくと聞かされるのではないか…とむしろ警戒してしまいます。(実際に吉原には2000年前後まで私設の研究所がありましたが、知る人が殆どいない現実が、まさに答えです)

それに対して「書店」は、誰もが安心して足を運べる場所です。遊廓跡のみならず現在はソープランド街という、やや足を向けづらいイメージも併せ持っている吉原でも、書店ならばハードルが下がるのではないか、こう考えました。

結果的には、私の想定以上に、多くのメディアに注目して貰えました。全国紙、NHK・民放テレビ、ファッション誌、カルチャー誌などの取材を受けました。もちろんお客様も足も運んで下さいました。従来の書店が駅前や郊外のバイパス沿いといった生活の動線上に置かれていたことに対して、駅からも遠く、また特別な用事がなければ足を運ぶこともないであろう当エリア(吉原は山谷と隣接していることもまたネガティブイメージに繋がっています)にも関わらず。

「本」が持つ集客力の高さは想定以上でした

利に敏い人であれば、ここで一つアイデアが思い浮かぶことでしょう。前述の通り、本は基本的に委託販売制を採っているため、本で集客して、もっと利益率の高い商品で利益を出せないか? こうした読みの結果、ブックカフェが取り得る業態の一つであると私はみます。

繰り返しですが、ブックカフェの形態を採るすべての書店を非難するつもりは毛頭ありません。カフェを併設することで、書籍の売上も伸ばし、出版不況に抗って地域貢献している書店もきっと多いことでしょう。

カストリ書房や私個人のSNSで、これまで委託販売制が可能にする返本にフリーライドしかねないブックカフェについて、批判的な意見を何度か述べてきました。これを知る人から、クラファンで謳っているカフエー&バーの新設について、節操のない掌返しとの誹りがあったかもしれません。

しかしここでカストリ書房の事情を説明すると、弊店は創業以来、ほとんどすべて買い切りで仕入れてきました。つまり返品はせず、仕入れたものはすべて責任を持って販売に努めてきました。「ほとんど」としましたが、これは誤って重複して仕入れてしまった本を7年間で1度だけ返品したのみと、先方から「委託で」とお願いされた場合のみです。

委託販売制を悪用しようと思えば、店側の過失で汚損した本も返品できてしまいます(試したことはないので、可能となる汚損の程度は分かりませんが。)。もちろんそうした悪意のない書店が殆どかと思いますが、私が指摘したいのは構造的なことです。出版社側からみて怪しい事案でも、この出版不況を背景にして、わざわざ客である書店の機嫌を損ねたり、敵に回すようなことも避けようとする意識も働くことでしょう。

憶測めいた指摘になってしまいましたが、こうした「なあなあ」が仮にあったにせよ、厳格に判断することが最良とも思いません。「なあなあ」をやり繰りしていく現場の苦労も軽視したくありません。

加えて弊店が大上段に構えたところで、それがアダとなって経営が立ちゆかなくなるよりも、いい塩梅のところで長く細く経営を続ける方が結果として良い、という見方にも充分納得できます。(ただしこれまで一度も書店従事・経営経験がない私が、制度的スキマを巧く衝くことに腐心するよりも、「仕入れたら売る」という、ごくシンプルな商いの基本に努力を傾けていく方が、本質的には経営にプラスに働く、というこれまでの社会経験から得たいささかの自負もあります)

そして次のようなことも忘れたくありません。遊廓を含む性売買に関連する書籍は、著者を始めとする作り手の使命感に駆られて世に出されたものも少なくありません。現代でこそ「遊廓」はサブカルチャーの一角として一定以上の認知があり、またマーケティング上も追い風になり得るものですが、従来はこれをテーマに据えるだけでも白眼視される風潮も少なくなかったことでしょう。まして地域遊里を扱う地域社会であれば。

著者のみならず、企画をブラッシュアップし商業ベースに乗せる編集者、経済リスク・発行リスクを負う発行社(者)。売り手として、まして専門書店を名乗る書店として、彼らの志にわずかなりとも応える方法があるとすれば、買い切って責任を持ってバトンタッチしていくことと考えています。

弊店のカフエー&バーは、未購入本の持ち込みを禁止とするルールを採りますが、これは単に汚損リスクや機会損失という問題だけではなく(これも大切な問題ですが)、先人たちからバトンタッチされてきた想いを「ブックカフェ」というトレンドに埋没させたくないという考えからです。

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