見出し画像

プラモデルを作る楽しさってなんでしょう

ずっと考えていた「自分にとってのプラモデルを作る楽しさ」について「結果を想像すること」と「組み上がっていく過程」だと言葉にすることができそう。
受け売りもたくさんありますが、自分なりの解釈と言葉で書いてみました。

・楽しさその1「結果を想像すること」
ランナーに収まったパーツと説明書をじっと眺めて、どういう形になるか想像する。製品紹介の写真があるので、多くはそこから想像できる。ここは太ももだな、とかここは上腕だなとか。

でも時々「謎のパーツ」がいるのだ。何これどこになるのよ。

そういうパーツが「結果として何になるのか」を想像するのが面白い。そして想像は結構外れるのだ。当たったり外れたりするから面白い。

画像2

ところでこのパーツはベルトであり袈裟斬りにされた胴体の一部です。
”「ベルトをベルトの形」で作った結果、胴体にもなってしまった”のでしょうか。もしくは「身体を身体の部位通りに分割しない」という選択だったのかもしれない。

人の形になったものを「完成」としたときには、このパーツは「部品」なのだけれど「組み立てキットの製品」として考えた場合は、ランナーに収まっているパーツの状態が一種の完成品とも捉えられる。どうやってこの「完成品」を作るに至ったのか想像するのも楽しさの一つ。分割優先だったのか、色分け優先だったのか、シャツを押し上げるグラマーな肉体の曲線美だったのか・・・正解はわかりませんが想像して楽しみましょう。そしてコレッタちゃんは可愛いので買いましょう。

・楽しさその2「組み上がっていく過程」
パーツを眺めて結果を想像したら組み立てましょう。さっき書いたとおり、想像していたのとは違うところにパーツが収まったりします。

「えー太ももだと思ってたらバックパックだったわ。」

私は多くの場合(特にガンプラは)、ランナーの状態で墨入れしてしまってから組むのですが、そうすると「あれ、この部分外から見えると思って墨流したのに全然見えんじゃないか」とかが往々にしてあります。もちろん逆もある。無意味だと思っていた溝とか凸凹が別のパーツと一体化することで意味のある形や構造になる。このピン切ったらだめなやつだったわ、とかね。

そんなことを考えながら手を動かしていくと、最後は女の子になったり、ロボットになったり、戦車になったりする。やったね!

画像3

画像4

あれ、全部組んだら見えなくなったな、とかもたくさんある。
ガチッと接着してしまって「もう二度と見られない」ところとか、パカッと開けたら見えるとことか、関節動かしたら見えるとことか。
「組んだあとで見えないところを想像してニヤニヤする」とかも、組み上がる過程があるからこそ、なのでしょうね。

「完成したプラモ」と「完成品フィギュア」との違いは何なのか考えた時に「「組み立ての過程」を楽しんだかどうか」というのは(少なくとも自分の中では)とても大きな要素といえそう。「アクションフィギュアでhogehogeが出るよ」と発表されたときに「うわープラモで出してくれ!」と昔から思うことが多かったのでこれはまず間違いないでしょう。でも色を塗ったりすることはあまりなくて、何を楽しんでるかといえば「ふふふ憧れのhogehogeを自分の手で組み立てるぜ」というところなのですよね。
そして今何を考えているかといえば、エクシアR4をRG出だしてくれ(METAL BUILDの予約はした)

※「プラモは過程」という部分はjunさんが言語化してくれていたことに明確に影響を受けています。

ところで、「ランナーのないプラモに感じる違和感」とかはまだ自分の中でクリアになっていないのでいずれわかってきたら言葉にしたいですね。

画像5

ちなみに僕は「パーツが全部切り取られたランナー」も好きです。

おしまい。


ちょっと追記。
自分の中では「どこまでが影響を受けているのか」が曖昧になりすぎていて触れていませんでしたが、写真にしろ考えにしろからぱたさんの影響もめちゃくちゃに受けています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?