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死因究明のための薬物検査

事件なのか、自然死なのか、処方薬や市販薬が関与してないか。
見た目だけではわからない薬の関与を明らかにするため、薬物検査が必要となります。

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犯罪死体については司法解剖が実施され、必要に応じて薬物検査が行われるのはもちろんですが、犯罪死体以外の遺体であっても、死因究明のために薬物検査が必要となる場合があります。

科捜研や大学の法医学教室では、死因究明を目的として、死因のはっきりしない遺体の生体試料について、薬物検査が行われています。

ところで、どんな薬物検査が行われているのでしょうか。
薬物検査と一口に言ってもその中身は様々です。

というわけで、代表的な薬物検査の手法について見ていきましょう。


1. 簡易キット

手間:☆☆☆☆☆(楽)
価格:☆☆☆☆☆(安い)
時間:☆☆☆☆☆(早い)
検出範囲:☆(決められた薬物のみ)
特異性 :☆(似た化合物と交差反応あり)
検出感度:☆(最低限必要なレベルは確保)

迅速簡単誰でも使える簡易キットです。
尿などを少量垂らすと、線が出たり出なかったりします。
説明書を読むだけで使えるため、検査分析に慣れていない人でも使うことができます。

しかしながら、検査対象の薬物が非常に限られており、対象外の薬物には手も足も出ません。
また、検査対象内であっても、「ベンゾジアゼピン系」などと、構造の似た薬物を一括にしているため、たとえ陽性になったとしても使われた薬物を特定することはできません。

これらの特徴から、簡易キットはオンサイトでのスクリーニングなど、分析機器を用いることのできない環境で有用な手法です。
注意すべき点は、やはり検出対象範囲がごく限られているため、簡易キットで陰性だったとしても、検出範囲外の薬物については何もわからないということです。
キットの特徴を理解して利用する必要があります。

2. ガスクロマトグラフィー(GC)

手間:☆☆☆(前処理必須)
価格:☆☆☆☆(ほどほど)
時間:☆☆☆(前処理含めて数時間)
検出範囲:☆☆☆(多くの薬物)
特異性 :☆☆☆(標準品との対照必須)
検出感度:☆☆☆(まあまあ)

ガスクロマトグラフィーは揮発性の有機化合物に適した分析手法であり、アルコールなどの小さいものから、睡眠薬等の薬物まである程度幅広く分析が可能です。
親水性の化合物は苦手としていますが、化合物によっては誘導体化処理により揮発性を上げて分析することが可能です。

気化室で化合物を気化させてガスの状態で分離カラムに導入すると、化合物の性質によって分離され、カラム出口から特定の時間で溶出されてきます。これを検出器で検出し、保持時間情報によって化合物を同定します。
このとき、(質量分析以外の検出器では)化合物の構造情報が得られないため、あらかじめ標準品を分析し、それぞれの化合物の保持時間を把握しておく必要があります。
また、ピークの保持時間情報のみで同定を行うため、ピーク強度が低かったり周囲にノイズや夾雑物のピークが多かったりすると同定が困難になるため、ターゲット薬物の濃度が低く、かつ夾雑物の多い生体試料の分析にはあまり向いていません。

ヘッドスペースGCによる血中アルコールの分析など、分析対象が少なく夾雑物の入りにくい分析に用いられています。

3. 液体クロマトグラフィー(LC)

手間:☆☆☆(前処理必要)
価格:☆☆☆(まあまあ)
時間:☆☆☆(前処理含めて数時間)
検出範囲:☆☆☆☆(多くの薬物)
特異性 :☆☆☆(標準品との対照必須)
検出感度:☆☆☆(まあまあ)

GCと同様にカラムを用いて化合物を分離し、その保持時間で同定を行う手法ですが、こちらは溶媒に溶かした液体の状態で分離と検出を行います。
そのため、難揮発性の化合物にも適用可能であり、親水性が高くなりがちな薬物代謝物にも適用可能です。

保持時間のみで同定を行うため、あらかじめ標準品を分析し、それぞれの化合物の保持時間を把握しておく必要があるのも同じです。
フォトダイオードアレイ検出器による分光検出により多少は夾雑物による妨害を軽減できますが、ピーク幅がGCより広いので夾雑物にはやはり弱く、前処理で除いてやる必要があります。

前処理含む分析メソッドを最適化した上で特定の薬物を対象とした検査に用いられます。

4. ガスクロマトグラフィー質量分析(GC/MS)

手間:☆(前処理必須)
価格:☆☆☆(まあまあ)
時間:☆☆☆(前処理含めて数時間)
検出範囲:☆☆☆☆(多くの薬物)
特異性 :☆☆☆☆☆(高い)
検出感度:☆☆☆☆(高い)

GCに質量分析を組み合わせた手法であり、揮発性の有機化合物の分析に汎用されます。
質量分析により得られるマススペクトルは化合物の構造情報を反映しており、さらに既知の化合物については多くがデータベースに登載されているため、標準品が無くてもかなりの範囲の薬物が検出可能です。

質量分離により、夾雑物による影響もかなり低減されるため、生体試料中の微量の薬物を検出する非常に有効な手法です。

抽出などの前処理は必要ですが、検出感度も高く、値段もほどほどなので、強固な薬物検査環境の実現のためにまずは持ちたい装置筆頭です。

5. 液体クロマトグラフィータンデム質量分析(LC/MS/MS)

手間:☆☆(前処理必須)
価格:☆(けっこうする)
時間:☆☆☆(前処理含めて数時間)
検出範囲:☆☆☆☆☆(ほとんどの薬物)
特異性 :☆☆☆☆☆(高い)
検出感度:☆☆☆☆☆(高い)

GC/MSと同様にLCを質量分析と組み合わせた手法であり、LCの特徴に加えて質量分析による構造情報が加わった非常に強力な手法です。
GC/MSとイオン化法が異なり、シングルの質量分析では情報量が少ないため、質量分析部を複数接続したタンデム質量分析と呼ばれる手法の装置が汎用されます。

質量分析部の種類がいくつかあり、いずれも値段は高価ですが、GC/MS以上の微量分析も可能であり、薬物検査における最高のソリューションとなり得ます。

どこまでの薬物検査が必要なのか

様々な分析手法があることは上で紹介しました。
そして、お金と人と時間が無限にあれば全ての遺体にフルコースの薬物検査が可能ですが、現実は未だそうではありません。

それでは「薬物検査」のためにどれだけの分析手法を用いればいいのでしょうか。

レベル0:何もしない
 論外ですね。

レベル1:簡易キットのみ(1検体数千円)
 お金がない国向け。
 最低限中の最低限。

――(まとまったお金の壁)――

レベル2:GC or LC(数百万円)
 ターゲットを絞れば検査できるものもある。
 コスパが微妙なのでもう少しお金をかけてレベル3にしたい。

レベル3:GC/MS(ン百万円)
 多くの薬物が検査できる。ライブラリーは偉大。
 機器分析による薬物検査はまずはここから。

――(たくさんのお金の壁)――

レベル4:GC/MS + LC/MS/MS(QQQ)(数千万円~)
 これだけ揃っていればまずは困らない。
 だいたいの薬物に対応可能。

レベル5:GC/MS/MS + LC/MS/MS(QTOF)(ン千万円~)
 未知の薬物にも対応できる体制作りを。

レベル6:複数台体制が望ましい。

ちゃんとした薬物検査を実現するためには、やはりある程度のお金がかかります。

さらに、本稿では除いていますが、毒物の検査を含めるとさらに別の分析装置が必要となるため、さらに投資が必要です。
これらを一施設で整えるのは小さい施設にとってハードルが高すぎるので、多数の薬物検査を集約して行う体制を整備する方が効率が良いでしょう。

薬物検査の結果を評価する

薬物検査は分析装置で分析して終わりではありません。

たとえ薬物が死因に関わらない遺体だとしても、死因に関わらないというだけでその他に飲んでいる市販薬や処方薬はいくらでも検出されます。
それら検出された成分が死因や犯罪に関与しているかどうかを判断するためには、分析の結果を正しく評価できる知識と経験を備えた人材が必要になります。

まず分析の際は、分析装置が正常に動作しているか、使用した分析装置と分析手法でどの成分がどの濃度まで検出できて、何の成分は検出できないのか、他の情報からどんな成分が疑われて追加の検査をどのようにする必要があるか、等々を考える必要があります。

そして、検出された成分を評価する際は、それぞれの薬物の摂取量や有効濃度、複数の薬物の相互作用、疾患の影響、死後の変化についての知識も必要です。

これら分析の知識と薬学・医学的な知識の両方を兼ね備えた人材でなければ、真の薬物検査は務まりません。

最後に

現在の日本の薬物検査体制について、以下のような記事に見られるように、まだまだ十分とは言い難い状況のようです。

【4歳次女毒殺】東大の法医学教授が「今回の事件は防げたかもしれない」と語る理由(現代ビジネス)
「薬毒物殺人がいくつも見逃されている」東大教授が警告する、日本の死因究明の「恐ろしい実態」(同)

薬物検査の重要性が広く理解され、十分な予算と人と検査体制が整えられることを望みます。


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全国科学捜査研究所(科捜研)情報(note)
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