細胞痛1

久しぶりの新橋は相変わらず人が多く酔いそうになるが、それでもまだ懐かしいと言う感覚よりは、(久しぶりに都会に出てきたな)という、東京で暮らしていたときとさして変わりのない感覚を覚える。住んでいた練馬周辺は特に人通りが多いわけでもなく、仕事も特にビルの立ち並ぶ都会に出てきていたわけではないので、今住んでいる外房だろうが、結局こんなまちなかに出てくる頻度は今も昔も変わらない。

待ち合わせの時間の3分前に駅のプラットフォームに着き、待ち合わせ場所のSL広場には2分遅れで着いた。待ち合わせ時間は決めているが、大抵はお互いがLINEで「今赤坂」とか「ごめん、10分遅れる」等のやり取りをしながらの待ち合わせなので、ここ最近待ち合わせ時間にお互いがその場所にいることはない。

山下さんの行動パターンはおおよそ15分遅れると決まっていたので、SL広場横の喫煙所で一本タバコを吸った。タバコを吸いながら待ち合わせ場所としてのSL広場を見渡すと、ここはSLというシンボリックなものがあるけど、実はこの広場に着いてから出会うまでには、結構な時間がかかるんだよなーとぼんやり考えていた。いつも結局SLの前に着いてから「どこにいる?」ってメッセージを送るが「えっと右側」など、考え方によっては場所が無数に考えられる返信がきて、終いにはお互いが動き回って探す羽目になったりする。そこで大体時間を5分ほどロスる。

後ろから「雄二くん」という懐かしい声が聞こえ、振り返ると少しだけ大人びた(年下の僕が言うのは何か変だが。)山下さんが立っていた。笑顔の山下さんを見ると5分のロスなど簡単にどこかに消えてしまう。

山下さんは初めて東京に出てきて入った会社の先輩だ。先輩と言っても直属の上司とかではなくて、知り合ったのは神田の古本屋だった。僕は今はなきジャニスにCDを借りに行き、その帰りになんとなく古本屋に入った。店内には小柄な若い女性と店員さんらしきおばあちゃん、そして僕の3人がいた。小柄な女性がかろうじて僕だったら届く棚においてある本を欲している姿が目に入った。150に満たない身長の彼女。おばあちゃんはニコニコして人の良さそうなのだが、どうやら本をとってあげようという気持ちだけは全くなさそうだった。店の奥には高いところの本を取るようの脚立が見えていたが、この店に入ったお客さんは誰一人それを取ってくれと言う気持ちにはならないだろう。おばあちゃんはニコニコしていた。

もう僕が本をとってあげる以外方法はないのは理解力に乏しい僕でもわかった。

「あの、本届きますかね?」

「あ?」

「あ、」

「はい?」

「あ、本。取りましょうか?」

「あ。  いやえっと。」

「・・・」

「ありがとうございます。。。」

女性は、今まで同じ店内にいた僕には気づかなかったんだと思った。それだけ本に集中していたってことか。

「どの本ですか?」

「あそこの幸田露伴の・・・」

それが誰かは知らないけど「こうだ」は「幸田」以外ないだろうと思い、目に入った唯一の「幸田」本を手に取り、彼女に渡した。

「ありがとうございます。」

「いえいえ。では。」

僕は特に欲しい本があったわけでもないし、なにか得体の知らない気まずさも相まって、すぐに本屋を出た。

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