共同親権について、考える

離婚するってことは、大人の都合であって、子どもからしたら、親が親であることには、かわりがないと思う。

単独親権は、一律適用するのは、どうなのだろう。
共同親権でいいと思う。いや、共同親権を基本にすべきだ。

そうすると、離婚して、再婚することになっても、子どもの本来の親は、親をやめなくていいだけではなくて、さらに親が増えることになる。

子どもの面倒をみる相方となる大人が三人、四人と増えていけば、コミュニティができ、より子どもを育てやすい環境になる。

実の親でさえ、子育ては、辛いから、二人きりでかかえるもんではないのだ。
コミュニティは必要だ。
それを、一人でも多く担保できればいい。

共同親権には、その可能性があるのだ。

お金調達係、家族の世話係、これを、二人っきりの大人が分業すれば、孤独になるし、分担すれば、ケンカになる。
のだから、単純にお金調達係増やしてみるとか、家族の世話係増やしてみる、集まった資金で機械化すすめる、的なかんじで、会社を大きくするかんじで、家族も大きくすればよいのではないか、と思うのだ。

それを、血縁にこだわらずにやるのもいいけど、子どもの関係からやっていくスタイルがあってもええのではないか、と筆者は考えている。

しかし、これ、人間の感情の問題ってやつが、どうしてもつきまとうのだ。

それが嫌になって、どんどん攻撃しては追い出して、核家族化し、さらには、ソロ化していったという経緯があり、日本は少子化していった。

出産・子育て中というのは、お金的にも、肉体的にも、精神的にも、一人でできることをこえていて、二人っきりでできる量もこえているのだ。
人間って、ホントに世話が焼ける生き物だから。
なので、今一度、本当の大家族とは、というところに立ち返って、少なくなってきた動ける大人同士の連携をどうとっていくのか、というところを考えなきゃいけない。

テレビでよく取り上げられている、大家族は、子だくさん家庭であって、大家族ではない。
正確には、子だくさんいてるが、サポートする大人が不足してる家庭なのだ。
目指すべきは、そうではない。

さまざまな大人が共同で複数人暮らしながら、あーだこーだ言いつつ、子育てする家庭だ。
親が十人、子どもが十人であれば、意外と分業も孤独にならないし、お金の問題も、そんなに困らなくなるのではないか。

一つ屋根の下が辛いなら、うまく共同部分と分離部分を考えた家つくりをしていけばいい。

子どもだって、本来の親と離れなくていいのだ。
みんなと過ごせばええのだ。

夢みたいな、キレイごとかもしれないけど、共同親権適用可能にするところから、はじまっていけばいいな、と考えている。

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