ふと気付いたことメモ。

私が思うに、両親から嫌われて実家をなくす覚悟もなければ、徹底的に両親の機嫌をとって家のために自分を尽くす覚悟もないのであれば、それはただ失われてしまうだけだと、今気付いた。

中途半端に、今が楽しければいいと逃げるだけであれば、両親という、ある種の狂った存在に、自分が飲まれて人生消えるように失うだけなんじゃないかって。

それは、両親が死ぬまで続くとしたら。
早死にすることがデフォの時代とちがい、長生きする両親にしばられてしまう中年期の苦労が果てしなく続くだけならば。

両親と距離を果てしなく取っていくか、両親に飲まれて生きるかの二択になってしまうのではないか。

そこに、両親からの助けがあったほうがええのではないか、両親を助ける方がええのではないか、という、目に見えない思い込みも加わって、えげつない葛藤となるのではないか。

死ぬことには、救いがあるのではないか。

昨今、米津玄師のLEMONが流行ったりしてるけど、あの歌もテーマは死ぬということなわけだし……。

死んでほしくないと泣かれながら死ぬ方が人生華なんじゃないか。

だらだらと生きるより、いっそのこと死なせてくれたら。
そう思っても、カンタンには死なせてもらえない。
死ぬにも、タイミングがあるらしい。
命の尽きる年限的なものが決まっているらしい。
それが、最近あまりにも長すぎるんじゃないか……。

親子だけでもないけど、人間関係、あまりにも距離が近すぎれば、だんだんイライラもするし、飽きても来る。だから、程よく一人の時間があり、程よく距離が離れていて、さみしくなれば集える距離が理想なんじゃないかなって思う。

問題は、人によって心がちがう、考えてることがちがう、ということなのかもしれない。
理解しあうなんて、到底できない。
諦めてしまう方が早い。

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